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はじめにひとつの短文を紹介します。
ある本の抜粋です。

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よい日本人となるには、
いつも天皇陛下、皇后陛下の御徳(おんとく)を仰ぎ、
皇大神宮(こうだいじんぐう)をうやまいたっとんで、
忠君愛国の心をさかんにしなければなりません。
また紀元節・天長節・明治節などの祝日のいわれをわきまえ、
国旗を大切にすることも、
日本人として大事な心得です。

父母には孝行をつくし、
先生をうやまい、
学校を愛し、
友達は仲良くして助け合い、
近所の人には親切にすることが大切です。

心をいつも正直にもって、
うちにいても外に出ても行儀を良くし、
堪忍ということを忘れず、
人と協同して助け合い、
また平生(へいぜい)は倹約をまもり、
慈善の心も深く、
人の難儀をすくい、
生き物をあわれむやさしい心がけがなくてはなりません。

そうして人から受けた恩を忘れないばかりでなく、
規則をよく守って、
人の迷惑になるようなことをせず、
進んで世の人々のために
公益をはかるようにしなければなりません。

いつも自分の健康に注意して父母を安心させ、
健康な体で学問に励み、
仕事に精出し、
また物をよく整頓し、
心を落ち着けて物事に慌てず、
いざという時にはなんでもできるような
勇気を普段から養っておくことも大切です。

このように自分の行いを慎(つつし)んで、
よく人に交わり、
世のため人のためをはかって、
天皇陛下の御ためにつくすように心がけるのは、
よい日本人となるのに大切なことです。
そうしてこれらの心得を行いに表すには、
すべて真心からしなければなりません。

*******

仮名遣いや漢字は、いまの人が読みやすいようにすこし直していますが、これは尋常小学校三年生の修身教科書の最終章の第27に書かれている文です。
繰り返しますが、小学校三年生です。

尋常小学校の修身は、1年生から3年生までの教科書がありますが、いまの教科書と違って、「一年生用」とか「二年生用」とはなっていません。
「巻一」「巻二」「巻三」といったように、単純に巻数の順番が表記されているだけです。
なぜそうなるかというと、昔は「飛び級」があったからです。

優秀な子は、どんどん先に学年を進むことができました。
これには理由があって、昔の寺子屋時代もそうですし、特に田舎などではその傾向が顕著なのですが、学校とは言っても、ひとつのクラスしかなく、そのクラスに一年生から六年生までが一緒に学んだ、といったケースが多かったのです。

そうなると、必然的に上級生は下級生の面倒を見なければなりません。
自分ひとりだけができれば良いのではなくて、下級生たちができるようにしてあげることも、上級生の勤めなのです。
薩摩の郷中教育や、会津の什教育などは、まさにこれを実現したシステムとなっていましたが、それは全国どこの藩でも行われていたことです。

そもそも社会人になれば、年齢ごとに仕事が違うなんてことはないのです。
年長者から若年者まで、ひとつ職場で人間関係を形成します。
教育が、立派な社会人となるように育成するためのものであるとするならば・・・誰だって自然と大人になっていくのですから、それは当然のことと思いますが・・・むしろそうした飛び級のある教育環境の方が、上級生となった者に自然と「責任感を育成する」という意味で、現代教育のスタイルよりもはるかに好ましいものということができます。
なぜなら社会システムは、いかなる場合においても、責任を伴うシステムだからです。

またテストの点数が、成績上位者から低位者まで、正規分布となることはよく知られた事実ですが、中央値あたりの生徒たちを対象に授業を行えば、とびきりのトップ集団に属する子供たちにはもの足らず、低位集団に属する子供たちにとっては授業が難しすぎてついて行けません。
正規分布

そこで、成績上位者には、どんどん高学年の教育を与えていく。
成績低位の者にも、無理がないように、しっかりと低位の教科書から順番にマスターしてもらう。
このことは、特に数理系の科目に貴重な働きをします。
算数も数学も積み上げ科目です。
足し算引き算がわからなければ、掛け算割り算は理解できないし、代数になったらもっとわからなくなります。

飛び級も、学年横断的な複合教育も、実は日本以外の諸国では、あたりまえに行われていることです。
生徒の人数の関係で、どうしても学年ごとに教室分けする場合でも、必ず学年横断的な授業が教育システムの中に取り入れられています。

日本は教育の歴史の古い国だけに、教育システムは戦前戦中まで世界の最先端を走っていたのです。
戦後、その教育システムが、GHQによってこれが破壊され、おそらくいまの日本の教育システムは、アフリカの新興国にさえ及ばない、低次元のものになってる・・と言った人がいました。

さて、上にある文章です。
ご一読いただいて、いかがでしょうか。

実は、今回ご紹介したものは小学三年生向けの修身教科書の末尾の「よい日本人」というタイトルの小文ですが、同じ内容は、小学一年生から六年生まで、すべての修身教科書の末尾に(もちろん内容の濃薄や文章の長短はありますが)掲載されているものです。
内容は、どれも同じです。

もっとも簡にして要を得ているのが小三かなあと思ったので、三年生のものをご紹介しました。

「修身教育は価値観の押しつけであって、
 子供たちに施すべきではない」

という意見があります。
そのように公言してはばからない政治家さんもいます。

いかがでしょう。
ここに書かれていることは、日本人として、あるいはもっというなら「人として」大切なことばかりなのではないでしょうか。

一方、日本の大切なものを破壊したり、外国に売り渡すことに一役買って利益を得ているような人たち、あるいはそこにぶら下がっているような人たちにとっては、まさに修身教育は邪魔な存在でしかありません。

そもそも修身教育が目指しているものは、価値観の押し付けではありません。
道徳教育は「まっすぐに生きる道を教える」ものですが、
修身教育は「身を修める方法や考え方」を教えるものです。

人には、それぞれに違いがあり、個性があります。
しかし、なんでもかんでも自由ということはありません。
社会は人々の集合体で形成されており、その中において、おのずと自由は制限されます。
個性を発揮するにも、
自分のわがままを通すためだけなのか、
多くの人々のお役に立てるように努力をするのか、
これによって、個性の発揮の結果は大きく変わってきます。

ある中学校で、集団縄跳びがありました。
ひたすら飛ぶことに一生懸命になる子、
ひときわ大きな声で、みんなに掛け声をかける子、
持久力のない子に、一緒になってマラソンをしようと持ちかける子、
ひとりひとりの子供によって、その行動はみんな違います。

その中に、ひとり、どうしても上手に飛べない子がいましたのだそうです。
みんなで飛ぶのですが、何度もその子の足が縄にひっかかってしまう。
集団縄跳びは、みんなひとつ方向を向いて飛びます。
けれどその子の前にいた子が、後ろ向きになって、うまく飛べない子の手を握り、一緒になって掛け声をかけながら、飛んであげていました。
それでも足がひっかかってしまう、その飛べない子が、ついに座り込んで泣き出してしまうと、その後ろ向きになった子は、泣いている飛べなかった子を抱きしめて励ましていました。

ひとりひとりに個性があります。
その個性の発揮が、より良い方向に向かうことを、成長といいます。
悪い方向に向かうのが不良です。
不良に走る者は、社会人として失格です。

そんな不良からみれば、修身教育は「価値観の押しつけだ」と思えるかもしれません。
しかしそのような不良を放置すれば、社会道徳は失われ、社会の秩序が崩壊してしまいます。
現にいまの日本がそうなっています。

そうであれば、その「良い方向」とは、一体どのようなものなのかを、子供たちに示していかなければなりません。
それがつまり「価値観の元になるもの」であり、「身を修める」修身教育です。

その修身教科書の末尾に、上に示した「よい日本人」があります。
この文が「よくない」というのであるならば、具体的にどこがどのように良くないのか、説明していただきたいものです。

冒頭に「天皇皇后両陛下を敬え」と書かれています。
それが良くないのでしょうか。
日本は、海外から見たら、誰がどう見ても、れっきとした君主国です。
しかもその君主国は、2千年以上の歴史を持つ世界最古の君主国です。

そしてその頂点にある天皇は政治権力を持たず、民衆を「おほみたから」とする国です。
これによって政治権力者が民衆を支配するのではなく、権力者が民衆を天皇から預かるという社会システムができあがります。
そうなることによって、我々日本人は、世界中のどの国も実現できなかった、「民衆の権力からの自由」を得てきたのです。
そのどこがいけないのでしょうか。

また「紀元節・天長節・明治節などの祝日のいわれをわきまえよ」とあります。
紀元節は2月11日の神武天皇即位の日
天長節は12月23日の今上陛下の御誕生日
明治節は11月3日の明治天皇の御誕生日です。
君主の誕生日を祝わない国など、あるのでしょうか。
あるのなら教えていただきたい。
現代日本以外に、そのような国は世界に皆無です。

しかも我が国の天皇は、我が国国民全員の共通のご先祖のなかの本家です。
つまり天皇は日本全国の各世帯の、本家の中の総本家です。
本家のお爺ちゃんのお誕生日を祝って、何が悪いのでしょうか。

「国旗を大切にせよ」とあります。
日本の国旗は、世界最古の日輪の国旗です。
軍国主義の象徴?
冗談じゃないです。
日本は世界で最も古くから平和と繁栄を実現してきた歴史を持つ国です。

不快感を持つ人もいる?
とんでもない!そういう人もいるから、世界には国境というものがあるのです。
日本の周辺にあるいくつかの国が大嫌いで、その国の国旗を見るだけで反吐がでる人もいます。
そんな国には絶対に行きたくないし、そばに寄ってほしくもないし、日本に来てもらいたくない。
寄るな!来るな!近寄るな!と言いたい。
でも、その国の人にとっては、その国旗は栄えある国家の象徴です。
世界にはいろいろな価値観を持つ国があるのです。
それで良いのだと思います。

「父母には孝行をつくし、先生をうやまい、学校を愛し、友達は仲良くして助け合い、近所の人には親切にすることが大切」以下の文は、社会道徳そのものです。
そのどこがどのようにいけないのか、説明していただきたいものです。
逆が良いのですか?
父母を嫌い、先生を嫌い、学校を嫌い、友達との交流を避け、近所の人とは付き合わないことが、社会を良くするのでしょうか。
そのような実例で成功した事例が、人類史上のどこにあるのか、教えてもらいたいものです。

思うに、冒頭にある文面は、外国人が日本国籍を取得しようとする際には、必ず暗唱させ、これを守ると必ず誓約させるべきものと思います。
すでに日本人になっている者でも同じです。
もし違背すれば、即時日本国籍を剥奪し、国外に追放すべきものです。
それくらい、日本人として、人としてあたりまえのことが書かれているのだと思います。

あたりまえのこと実践して生きるということは、実はたいへんに難しいことです。
しかし、すくなくとも、その心がけは、日本に住む日本人が常識として共有すべきものです。

※この記事は2018年9月のねずブロ記事のリニューアルです。

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