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先日、ビジネスコンサルタントであり、絵本作家でもあり、哲学思想家でもある東郷潤先生と対談させていただきました。
この動画は、後日アップになりますのと、今週の土曜日(28日)20時から対談のライブを倭塾チャンネルで行いますので、ご興味のある方は是非、観に来ていただきたいのですが、この東郷先生のお話が、実に興味深い。
東郷先生は、20年ほど前からこの運動をされているのですが、それは何かというと、日本発の根本思想で、世界を変えていこうというものです。
そしてその根幹にあるのが、
『善が悪を生む』
という事実です。
どういうことか、筆者なりに受け止めたものを申し上げますと、
「善である」あるいは「善でいる」、「善でいたい」というものが、結果として対立するものを「悪」にしてしまう。
そして「悪」を懲らしめることが「善」になる。
この思想が、数千年にわたって世界を支配し、結果、人類は同じ同族である人間を、そのためにこれまでに何億人も殺してきた、というものです。
実はこのことは、日本人には非常にわかりにくい。
なぜなら日本人は、
罪を憎んで人を憎まず
という考え方をするし、
100%正しいものなどない。
正しいか間違っているかではなく、真実が大事、
といった考え方をするからです。
たとえば、誰かを愛したからといって、愛した人の周囲にいる人たちを憎むなんて思考回路は、日本人にはまったく働らきません。
要するに日本人には、わかりにくいのです。
ところが、日本にいて日本人のような顔をして日本語を話す日本人ではない人たちや、白人社会においては、善の名のもとに、悪を徹底的に叩きのめすことが、正義です。
日本国内にあっても、
「戦前の日本は悪い国だった、日本人は残酷だ、自分たちは日本人による被害者だ」
という思考をする人たちがいます。
そして彼らにとっては、これが「善」です。
そして自分や自分たちが「善」であるのだから、日本が良い国だとか、彼らとは逆の思考をする人たちは、そのまま「悪」ということになり、「悪」は徹底的に排除し、懲らしめる対象になります。
同様に、先の大戦のあと、日本は国連憲章上の敵国と規程されましたが、そうなると日本は「悪魔の国」ということになります。
従って、日本を懲らしめやっつけることは、そのまま正義となるし、日本の財は「善から奪い取った悪魔の財」ということになりますから、いくら日本から財を搾り取っても、それは正義だということになるのです。
近年は、日本人でも同じような思考回路を持つ人が増え、それが日本悪玉論になっています。
日本にいて、保守系の思想を持つ方は一定数います。
彼らの多くはリアリスト(現実主義者)であり、いま必要なことを、ちゃんとしっかりと手を打っていかなければ、子どもたちや孫たちの未来がない。
だから、必要なことをしっかりとやっていこうとします。
ところが、世界的な善悪論からすれば、「日本を護る」ということは、そのまま「悪魔を護る」ことです。
従って、保守派などという人たちは、悪魔崇拝者と同じ、危険思想の持ち主であり、そうした悪魔崇拝者を糾弾し、叩くことは、それはいかなる手段であっても「正しいこと」ということになる。
ここまでの記述は、東郷先生のお話をお伺いして、筆者なりに感じたことですが、こうした思想が、実は世界を覆っている。だから、これを目覚めさせようというのが、東郷先生の運動です。
例えとして東郷先生が仰られていたことは、映画の「エクソシスト」です。
エクソシストでは、悪魔祓い師が聖水を手にして、少女に取り憑いた悪魔に
「地獄に帰れ!」
と言います。
悪魔の居場所は、どこまでも地獄なのです。
けれど日本では、罪を憎んで人を憎まず。
人どころか、妖怪であっても同じです。
たとえば天皇をも悩ませた鵺(ぬえ)という怪物も、その御霊は、仏僧によって経が唱えられ、鵺は感謝しながら極楽浄土へと旅立ちます。
鵺の御霊を地獄に堕(お)とそうなんていう、おかしな思考をする人はいません。
冒頭に述べましたように、普通の日本人であれば、たとえば「A子さんを愛した」からといって、「A子さんの周囲にいる男たちは全員敵」という思考回路を持ちません。
むしろA子さんをめぐる、その周囲の環境全部を、まるごと認め、愛するのが普通です。
また仮にA子さんに危害を加えるものがあれば、その危害行為に対しては懲らしめるという行動が生まれますが、だからといって、その加害者を敵とみなして、地獄に落とすなんて思考回路は、まったく働きません。
ところが西洋社会や、東亜における特亜と呼ばれる国々では、まさにそのような思考回路が働きます。
これはびっくりです。
たとえば今度の総裁選も同じです。
日本人社会なら、誰が勝っても恨みっこなしですし、A候補押しだからといって、他の候補者に対して何をやっても良いなどという思考回路は、まったく働きません。
ところが、そこには「日本にいて日本人のような顔をして日本語を話す日本人ではない人たち」がいるわけです。
彼らの思考は、ごく一部の自分たちの集団にとって都合が良い候補者以外は、すべて「敵」であり、「敵」と決まった瞬間から、その「敵」に対しては、どんなデマを飛ばしても、どんな悪意ある中傷を行っても、それらはすべて「正義」なのだ、というものです。
普通の日本人の感覚では、まさに「信じられない」思考回路ですが、その「信じられない」と言っている我々自身もまた、戦後教育や戦後社会の中で、染まっている部分があったりするのです。
どういうことかというと、たとえば、「自分は正しい」と思うことで、「正しくない人」を全否定する。
怒り、叱り、陰口を言い、その人が、一生懸命誠実に行動していることまでも、悪と決めつけて否定する。
たとえば、右の人が左の人を否定する、左の人が右の人を否定する。
知らず知らずのうちに、何かを「正しい」と思うことで、「正しくない」人を全否定してしまっている。
そしてひとたび「悪」と決めつけたら、その人に対して、どんな悪口を言っても、むしろ悪口を言うことが正義であるかのように思い込んでしまう・・・たいへん残念なことですが、よくあること、ではないでしょうか。
これは、いわば現代の魔女狩りであり、エクソシストです。
どんなに複雑に糸がからみあったように見える事柄も、解いてみれば答えは実はものすごくシンプルなところにあります。
数学の方程式問題と同じです。
どんなに複雑な方程式でも、解いてみれば「X=2」でしかないのです。
「正しい」から「間違ったものを糾弾し、排除する」のではなく、間違ったものも含めて、大きな正義でこれを包みこんでいく。
そうした日本的思考が、これからの日本を、そして世界を変える大きな原動力になります。
いま日本は、そのための岐路にあるのだと思う。
教科書に書かれている歴史が、正しいとばかりは言えないよ。
見方をちょっと変えると、歴史は事実をもとにしたストーリーなのだから、そこに全然違ったストーリーや、人々のいとなみが見えてくるよ、ということを、これまでずっとやってきました。
それは、何かが「正しい」と決めつけるものではなく、異なる見方や考え方が、世の中にはあるのだ、ということをあたらめてお互いに確認していこうよ、という活動です。
見方をちょっと変えるだけで、まったく新たな視点が生まれ、そこに新たな気付き得ることができます。
そんな気付きを得ることで、人も国も団体も、みんなが心身ともに健康になっていく、幸せになる。
そのために、これからもできることを精一杯やっていこうと思っています。
東郷潤先生の本は、ネットで読むことができます。
■聖書と善悪の実
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■善悪という怪物: それは脳で繁殖し、人を支配し、世界を破壊する
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