二度と皇室を軽んずるような豪族を出してはならない。
けれど、その一方で、簡単に武力に訴えるような国柄は、我が国の文化として許容してはならない。
このことをいかに実現していくかが、中大兄皇子の時代から、弟の大海人皇子(後の天武天皇)、その妻の持統天皇に至る時代の、最大の懸案事項でした。
大化の改新も、記紀の編纂も、歌集の編纂も、そうした文化的政治的背景のもとで生まれた一連の改革のためのものです。
そしてこうした一連の改革の基礎となる考え方を明確に打ち出されたのが、中大兄皇子の父であられる舒明天皇でした。