「和を以て貴しとなす」は“仲良し”の勧めではなく、対立を恐れず真摯に話し合い、合意と納得をもって一致を図る精神です。誤解された現代の“空気読み文化”との違いを解説します。

◉「和を以て貴しとなす」は誤訳だった?──空気読みの文化ではない

「和を以て貴しとなす」という言葉は、聖徳太子の十七条憲法の第一条に記されていますが、多くの現代日本人が「争わず、仲良くしよう」という単純な“協調主義”と誤解しています。しかし、これは表面的な理解に過ぎません。

この「和」の本質は、
「意見を出し合い、対話を通じて合意を形成すること」
です。対立や意見の違いを否定するのではなく、それらを前提としつつ「納得に至るまで話し合う」ことが、真の和であり、それが貴いというのが聖徳太子の思想です。

◉「話し合い」と「議論」の違い──ディスカッション文化の限界

日本では「議論することが大事だ」とされがちですが、この「議論」という言葉自体が幕末に英語“discussion”の翻訳語として導入された比較的新しい概念です。“discussion”は、相手を論破し、自分が優位に立つことを目的としたディベート的な意味合いが強く、むしろ日本の伝統とは相反するものです。

一方、日本語の「話し合い」は、「話を合わせる」こと。すなわち、異なる意見を調整し、より良い方向にまとめていく行為です。「義」という字が「我が身を神に捧げ、誠を尽くす」ことを意味するように、日本では本来、話し合いとは神意に沿うための共同作業でした。

◉和を取り戻すために──家庭も企業も国家も、話し合いの文化を

現代の日本では「空気を読む」「忖度する」ことが“和”であると勘違いされがちですが、これは和ではなく“沈黙”です。思っていても言わない、言えば叩かれる、だから言わない……こうした状況が企業や家庭、さらには政治の場にも蔓延し、結果として社会の停滞を招いています。

和とは、沈黙でも調和でもなく「言うべきことを、誠意をもって語り合い、納得の上で歩みを合わせること」。それは対立を恐れない勇気と、相手への信頼があってはじめて成立します。

家庭でも、職場でも、国会でも──一人ひとりが「本音を語る勇気」と「他者と話しを合わせていく意志」を持つことで、日本はもう一度“元気な国”へと再生することができるのです。

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