日本には古来より、民を「おほみたから」とする思想があり、人を物として扱う奴隷制度は成立しませんでした。その背景には、天皇を中心とした慈しみの統治と、人間を尊ぶ深い文化的哲学があったのです。

◉ 世界に広がった奴隷制度とその構造
奴隷制度は古代ギリシャ・ローマから近代の欧米、アフリカ、アメリカ大陸まで、世界中で見られる支配構造の一つです。
民主主義の発祥とされる古代アテネでも、人口の大多数は「奴隷」であり、少数の市民がその労働力を支配する構図がありました。
ローマ帝国の「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」も、多くの奴隷の犠牲の上に成り立ったものです。
奴隷制度の根底には、「人には上下がある」「支配する者とされる者がいる」という思想があり、
そこに“神の代理人”を自称する支配者が、生殺与奪の権を行使するという構造が確立されました。
現代のグローバリズムの起源も、こうした「人間の格差に正当性を持たせる思想」に端を発しています。

◉ 日本に奴隷制度がなかった理由
一方で、日本には「奴隷制度」と呼べるものは制度として存在しませんでした。
たとえば古代の『日本書紀』や『延喜式』には、民を「おほみたから(大御宝)」とする思想が繰り返し記されています。
これは「民こそが国家の宝である」とする価値観であり、人を物として扱う考え方とは根本的に異なります。
日本では、天皇は支配者ではなく、民の安寧と幸福を祈る存在であり、
政治を行う者(太政大臣や将軍など)に対しては「任命権」によって責任を問う立場にありました。
ここに「権力と責任の均衡」という、日本独自の統治思想が存在していたのです。

また、時代劇などで登場する「町奴」「奴婢」という語はありますが、
これらは職業的な役割分担や身分的区分を表すものであり、「人間を所有する制度」とは異なります。
むしろ町奴は、粋でいなせな庶民のヒーローであり、
人々を守る義侠心にあふれた存在として描かれてきました。
「奴(やっこ)」という言葉自体が、庶民に親しまれ、愛される文化的背景を持っていたのです。

◉ 日本人の人間観と未来への希望
人権や平等という概念が声高に叫ばれる現代社会において、かえって混乱が広がっている背景には
「人間そのものへの理解と尊重」が欠けていることがあるのではないでしょうか。
制度や思想ではなく、「人間そのものが尊い存在である」という哲学が、日本文化の根幹にはありました。
そのために、日本には「人を物とする制度」は不要であり、民を搾取することを目的とした階級制度が定着しなかったのです。

人を大切にする社会を築くためには、まず自分自身を大切にする心を持つこと。
そして、互いの尊厳を認め合う文化こそが、これからの日本、そして世界の希望となるのではないでしょうか。

私たちは、こうした「日本という国の心のかたち」を、改めて見直す時に来ています。
過去の過ちを正しながらも、先人の築いた価値観を誇りとし、未来へとつなげていく──
その大切な歩みの一歩として、「なぜ日本には奴隷制度がなかったのか」という問いは、
私たちに多くの学びと気づきを与えてくれるはずです。

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