7月14日、フランス革命と廃藩置県を軸に、歴史を“いのちの記憶”としてとらえる視点を紹介。
また、大規模デモやコンサートの裏にあるプロモーションの仕組みにも迫り、過去と未来をつなぐ「中今」の選択の重要性を語ります。
■ 中今とは何か──“いのちの記憶”と“いのちの可能性”をつなぐ交差点
今回の冒頭では、「中今(なかいま)」という日本独特の時間感覚について語られました。過去は単なる出来事の記録ではなく、「いのちの記憶」であり、未来は単なる予測ではなく「いのちの可能性」である。そして中今とは、それらが響き合う「魂の選択点」です。
この感覚をもつことで、私たちは単なる流される存在ではなく、自らの意思で未来を選び取ることができる存在であると気づくことができます。そしてその気づきこそが、「歴史」を学ぶ意味です。
■ 大規模集会やデモの“裏側”──10万人コンサートの仕組みとプロモーション戦略
話題はやがて1939年の日比谷公会堂での3万人規模の反英市民大会へ。現代の私たちにとって、そのような大規模集会はどうやって実現されたのでしょうか。
たとえば10万人規模のコンサートを例にとり、以下のような“仕組み”を明らかにしました。
1. ファンクラブと先行販売による熱心なファンの確保
2. テレビ・SNS・YouTubeなどでのメディア露出による認知拡大
3. 「一大イベント」感の演出で希少性を高める
4. 大手スポンサーとの連携による広告展開
5. 会場体験のテーマパーク化で参加満足度をUP
6. 全国・海外からの遠征パックで動員強化
これらの手法を通して、「人は自然に集まるのではなく、緻密に“集められている”」という現代社会の構造が浮き彫りにされました。つまり、戦前の大規模デモも同じであり、背後には必ず何らかのプロモーションや「仕掛け人」が存在します。
■ フランス革命の真相──“国家の演出”と歴史の読み解き方
そしていよいよ本題へ。7月14日は「バスティーユ牢獄襲撃の日」として知られていますが、実はフランスの建国記念日=パリ祭はその翌年1790年の「連盟祭」が起源であることが明かされました。つまり、建国を祝う日は牢獄襲撃ではなく、“国王が憲法に忠誠を誓った日”なのです。
さらに、フランス国家「ラ・マルセイエーズ」の血塗られた歌詞にも言及。国家に込められた「武力による奪取」の精神と、日本の「君が代」に込められた「調和と子孫繁栄」の精神との対比を通じて、国の成り立ちや価値観の違いが浮かび上がります。
また、「革命は民衆の自然発生的な怒りではなく、緻密に仕掛けられたものである」という視点から、フランス革命の背後にあった英仏の覇権争いとアメリカ独立戦争への援助による財政難、そしてパリ市民の煽動という構図があったのです。
■ 結びに
最後に、日本の国家「君が代」が持つ深い意味をあらためて紹介しました。それは単に国を賛美する歌ではなく、男と女、命と命が紡がれていく時間の連なりを詠んだ祈りの歌であり、日本独自の価値観と精神文化の象徴でもあります。
「歴史とは、今を生きる私たちが未来を誤らないための“いのちの記憶”である」というメッセージは、混迷の時代を生きる私たちへの大きな希望となるものです。
