十七条憲法は、討論と調和を大切にすることを述べています。
この中で「論(あげつらふ)」という概念が複数回使われており、互いの意見を尊重し合い、高め合う議論の重要性が強調されています。このことは日本的な価値観の一部であり、欧米におけるディベートの精神にも通じるものです。

1 十七条憲法における「あげつらふ」の意義

十七条憲法には、「論」を意味する「あげつらふ」という言葉が三度も登場します。
「あげつらふ」は、互いに場に集い、意見を出し合い、それを感じ取って尊重することを意味し、互いの主張を尊重し合い、昇華させることを目的とします。

2 議論を通じた意思決定の重要性

十七条憲法には、大事な決定は、誤りがあれば取り返しがつかないため、集団での慎重な議論が必要であることが書かれています。この姿勢は、議論を「正義と正義がぶつかり合い、より良い結論を導く手段」として捉えるディベートの概念と実は同じものです。

3 欧米との比較と現代社会への提言

欧米におけるディベート文化の発展は市民革命に由来するとされますが、日本では遥か昔の十七条憲法が同様の価値観を示していたのです。
現代では「和」を重視するあまり、議論が軽視される傾向がありますが、それは本来の十七条憲法の意図とは異なるものです。
心を開き、お互いを尊重しつつ議論を重ねることで、社会においてより良い意思決定が可能となります。

結語

十七条憲法が教える議論の精神「あげつらふ」を再評価し、日本人が積極的に議論に参加することが必要です。
学校教育や社会の風潮においても、単なる「和」ではなく、筋道を立てた議論が奨励されるべきです。

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【文字起こし文】

論と書いて「あげつらふ」

幕末の維新の志士たちのみならず、武士はよく泣きました。
彼らは筋道を立て、道理を重んじ、互いの尊厳を認めあい、互いに高め合おうとする強い意志を共有していたからこそ泣いたのです。
日本的な「論」、すなわち「あげつらふ」ことを、私達はもういちど見直すべきことだと思います。
なぜならそれこそが、欧米におけるディベートの精神そのものであるからですし、我が国の十七条憲法の教えでもあるからです。

十七条憲法の条文には不思議なことに、あげつらうという字が三度も出てきます。
以下の通りです。

一にいわく。
和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

十七にいわく
それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。
少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。
ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。
故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。

漢文では、基本的に同じ文字を繰り返し使うことをきらいます。
ですから二度、同じ字が繰り返されていれば、それは重要語ということになりますし、それが三度となれば、最重要語ということになります。
そして十七条憲法では、「論」と書いて「あげつらふ」と読んでいます。

漢字で書けば議論の「論」ですが、大和言葉は一字一音一義です。
「あげつらふ」というのは、
「あ」=生命を感じ取ること
「け」=放出
「つ」=集う、集まる
「ら」=場
ですから、現代語にすれば、「場に集まってそれぞれの思いを出し合い、それを互いに感じ取ること」を「あげつらふ」というということになります。
さらに「あげ」は、「言挙げせず」という言葉にもあるように、相手の言葉や思いを「上げる」、すなわち相手の主張を大切に扱うことでもあります。

また「つら」は「面(つら)」であって、顔の事を言います。
つまり議論を交わすときには、相手の顔を見て、相手の言葉を尊重してよく相手の思いを聞き取る。
また自分の意見も、相手の議論を尊重しながらこれを行うということですから、互いに相手の議論を否定し合うのではなく、どこまでもお互いの議論を尊重しあって、よりよいものにこれを昇華していくことが「論(あげつらふ)」ことの意義であると理解していることになります。

この「あげつらふ」を、
第一条では「上に立つ人はやわらかく、下の人も互いに仲良く、お互いにその思いを「あげつらふ」。
第十七条では、「上に立つ人が何かを決めようとするときは、必ず人々と議論を交わしあう。特に大事なことは必ず互いに議論を重ねることで、事理は必ず成し遂げられる」といったことが述べられているわけです。

よく、日本人は「和」の民族だから、欧米人のような議論を嫌うなどと言われますが、十七条憲法のみならず五箇条の御誓文さえも「広く会議を興し万機公論に決すべし」とあります。
全然、議論を嫌っていないのです。
むしろ論議を交(か)わすことをすることを奨励しているのです。

欧米でこうしたディベートが奨励されるようになったのは、やはり市民革命以降のことで、それまでは王や貴族のひとことですべてが決したのに対し、市民革命以降は、市民同士の議論によって意思決定が行われるようになったわけで、そこで自らの意思を集団の中で通すための技術としてディベートが広がったとされます。

学校の勉強と違って、世の中の事柄には、正解となる結論が決まっていません。
その正解となる結論を築いていくのが社会人としての仕事であって、そこが学校の試験と大きく異なる点です。
しかも学校で学ぶことは、過去の知識であり、社会人の仕事は、そうした知識に基づいてこれからの未来を築くことです。
そうした中にあって、大勢の人たちと力をあわせて新しい未来を築くための技術としてディベートが研究されるようになったのです。

ですからディベートの語源はフランス語の「戦う」です。
戦は、必ず敵味方双方に正義があるのです。
その正義、つまり正論と正論とがぶつかりあって、討論して、よりよい結果を導き出すのがディベートです。

そして欧米ではそうしたディベートが重要視されるようになった市民革命は、17世紀の英国の革命、18世紀末の米国やフランスの市民革命に端を発します。

ところが21世紀になったいまでも、チャイナやコリアのような上意下達型社会では、今でも議論は拒否されます。
なぜなら上意下達型の社会では、無理難題を押し付けた側が議論を挑まれれば、敗北することが明らかだからです。
それでは上位者の権威がなくなります。

では日本ではどうかというと、十七条憲法が世に出されたのが西暦604年、つまり7世紀のはじめであって、英国の市民革命に先んじること千年の昔です。
その十七条憲法は、「憲法(いつくしきのり)、十七条(とおあまりななのち)と読み下します。
「条」を「ち」と読んでいます。
この場合の「ち」は、知恵や知識と同じ意味です。
「いくつしき」は、「齋(いつき)」と同じ大切なことであり真実のこと。
「のり」は「則」や「糊」と同じで、いちどぴったりくっついたら離れないもの、つまり離れてはいけないものという意です。
つまり十七条憲法は、十七の万古不易の守らなければならない大切な知恵であり、真実の知識という意味です。

そしてその十七条憲法は、第一条の論にはじまり、第十七条の論に終わります。
つまり討論にはじまり、討論に終わっているのです。
そしてその論は「あげつらふ」ことであり、お互いを尊重して、互いの意見をよく聞き、これによって論の内容を高め合うことなのだと記しています。

十七条憲法といえば「和を以て貴しとなす」であり、議論するよりも和することを大事にしているような印象操作が行われていますが、もう一度、冒頭の条文をお読みになってください。

《読み下し文》
一にいわく。
和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

《現代語訳》
和を大切にしなさい。相手を呪詛(忤)してはいけません。人には誰でも主張があるものです。一方で真理に達している人はすくない。そのために上司や父にしたがわずに争ってみたり、隣村といさかいを起こしたりすることが起こるのです。
けれども、上に立つものが意図して態度を軟化させ、下の人たちも心を開いて互いに問題を討論していくならば、互いの心の思いは必ず通じるものです。そうなれば、どんな難問だって解決できます。

改めてお読みいただくとわかると思いますが、どこにも議論がいてないとは書いていません。それどころか文意からすれば、ここで言わんとしていることは心を開いて議論しなさいということが主題になっています。

あらためてお読みいただくとわかると思いますが、どこにも議論がいけないとは書いていません。
それどころか文意からすれば、ここで言わんとしていることは、心を開いて「議論しなさい」ということが主題になっています。
さらに十七条です。

《読み下し文》
十七にいわく
それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。
少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。
ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。
故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。

《現代語訳》
(上に立つ者は)物事(ものごと)を独断で決めてはなりません。かならずみんなとよく討論して物事を決めなさい。
些細な、手軽なことまで討論しなさいと言っているのではありません。そういうことはみんなと決める必要がない。
しかし大事なことは、必ずみんなと討論して決めるようにしなければなりません。なぜならもしも大事な意思決定に誤りがあっては取り返しがつかないことになるからです。
そしてこのときのみんなとの討論(議論)にあたっての言葉は、かならず筋道を建てることを大切にしなさい。そうすることによってはじめて道理が立つのです。

ここでいう「辞(ことば)」というのは、互いの鋭利な議論のことを言います。
また「ことわり」というのは筋道を立てることです。
議論がいかに白熱しても、そこで感情的におちいるのではなく、どこまでも筋道を立てることを大切にしていけば、必ず道理がたち、よりよい意思決定をなすことができると述べているわけです。

つまり、十七条憲法は、心を開いて議論しなさいから始まって、その際には筋道を立てて議論しなさいという言葉でシメているのです。
どれだけ議論を大切にしてきたかということです。

昨今では、議論を「人の意見の足を引っ張ること、評論し評価すること」と勘違いしている風潮があると言われています。
そうではないのです。
それらは「評価、評論」であって、「議論」ではない。
たいせつなことは、場に集まってそれぞれの思いを出し合い、相手の言葉や思いを「上げる」、つまり互いに高め合うこと(これを昇華と言います)が大事であり、これこそが十七条憲法の精神なのです。
「和が大事だから議論してはいけない」などという、軟弱なものなどでは決してないのです。

幕末の維新の志士たちのみならず、武士はよく泣きました。
彼らは筋道を立て、道理を重んじ、互いの尊厳を認めあい、互いに高め合おうとする強い意志を共有していたからこそ泣いたのです。
日本的な「論」、すなわち「あげつらふ」ことを、私達はもういちど見直すべきことだと思います。
なぜならそれこそが、欧米におけるディベートの精神そのものであるからですし、我が国の十七条憲法の教えでもあるからです。

そして議論にはルールがあります。
そのルールとは、あくまで主題について論を戦わせること。
決して、相手への人格攻撃をしないこと。
そのこともまた、十七条憲法に書かれていることです。
それが、
「忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」です。

「忤」という字は、呪詛のための道具の象形です。
つまり、相手を呪ってはいけない。
呪うといことは、言葉を変えれば、相手への人格攻撃です。

だから十七条憲法は、
「人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし」と書いています。
つい言葉が乱暴になってしまったり、相手への人格攻撃をしてしまうことがある。
あるいは、人格攻撃されてしまうことがある。
人間なんて、ある意味、弱いものだからです。

だからこそ、
「上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
 事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは
 すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん」
なのです。

これはとても大事なことです。
けれど残念なことに、戦後の学校では、「十七条憲法には、和をもって貴しとなす」と書かれているとしか教えません。

日本人が強くなる、かっこよくなるということは、ただいたずらに、仲良くすれば良いということではありません。
ちゃんと議論できるようになる。
そういう日本を復活させること。
それがまさに、日本を取り戻すということなのではないかと思います。

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