明治3年1月27日に正式に制定された日の丸。徳川幕府時代から続くその歴史や、さらに古い蝦夷征伐や源平合戦での使用例を交えながら、日本国旗の意義を解説します。

  1. 国旗制定記念日の由来と明治政府の決定

1月27日は「国旗制定記念日」とされていますが、その背景には、明治3年(1870年)1月27日(旧暦)に発布された太政官布告第57号「商船規則」があります。この布告で、日本の商船旗として「日の丸」が正式に定められました。
ただし、この「日の丸」は明治政府が新たに考案したものではなく、徳川幕府が国際商船旗として使用していたデザインをそのまま採用したものでした。幕府は江戸時代に「日本惚船印(そうふなじるし)」として日の丸を使用しており、「惚」は“うっとりするほど美しい”という意味を持つとされています。このように、日の丸は古くから国際的に日本を象徴する旗として認知されていました。

  1. 日の丸の起源と古代の使用例

日の丸の起源はさらに遡ることができます。そのデザインは、太陽を象徴する天照大神や、宇宙の中心を表す天之御中主神に結びつけられます。また、初代神武天皇が戦場で「日に向かって戦うべきではない」と語り、太陽信仰に基づいた戦略を取ったという逸話も伝わっています。

さらに、1300年前の奈良時代には、初代征夷大将軍である坂上田村麻呂が蝦夷征伐を行った際、蝦夷側が「日の丸」を掲げて戦ったという記録があります(清水寺縁起絵巻)。これは蝦夷の側も太陽信仰を持っており、自らを「日本の正統な子孫」として主張していた証拠とも考えられます。このことは、日の丸が日本の歴史や文化において広範な意味を持っていたことを示しています。

  1. 歴史を彩る日の丸の使用例

日の丸が歴史の中でどのように用いられてきたのか。平安時代末期の源平合戦では、源氏が「白地に赤い円」を掲げ、平氏が「赤地に白い円」を掲げるなど、日の丸の意匠が戦場で重要な象徴として使われました。さらに鎌倉時代には、日蓮が元寇(蒙古襲来)の際に日の丸を掲げて祈願したという記録も残っています。

室町時代になると、日の丸は海運や国際交易の象徴として使用され、戦国時代には織田信長や徳川家康といった武将たちが本陣のシンボルとして掲げるようになりました。そして江戸時代、幕府は日の丸を公式な商船旗として採用し、世界的にもそのデザインが日本を象徴するものとして認知されるようになりました。

  1. 日の丸の象徴する意義と未来

日の丸が「白地に赤い円」というシンプルなデザインでありながらも、その背後には深い歴史と精神性が宿っています。太陽、宇宙、そして天皇や国民との結びつきを象徴する日の丸は、単なる旗ではなく、日本人の誇りと連続性を示すシンボルです。

現在もなお、日の丸を巡る議論は続いていますが、その本質を理解することで、日本の歴史や文化を再確認する機会になるでしょう。

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