12月21日という日が持つ歴史的な意味を掘り下げたこの動画では、バスケットボールの試合初開催や映画『白雪姫』の公開を皮切りに、武家政権の始まりとされる「文治の勅許」について解説しています。鎌倉武士たちが「自治」と「自由」を選択し、大きな責任を負いながらも新しい時代を築いた背景が語られました。また、現代の社会構造や経済の在り方に通じる「誇り」の重要性についても深く言及。歴史を学び未来を考える、貴重な一編です。

  1. 歴史的出来事と12月21日

12月21日は、スポーツと映像技術の発展を象徴する日でもあります。1891年にジェームズ・ネイスミスによってバスケットボールの試合が初開催され、1937年にはディズニー映画『白雪姫』が世界初のカラーアニメーションとして公開されました。これらの出来事は、スポーツ文化の普及や映像技術の進化を通じて社会を豊かにしてきた歴史を物語っています。また、『白雪姫』の日本語吹き替え版に残る美しい日本語も、文化的な遺産として注目されます。

  1. 鎌倉幕府の始まりと「文治の勅許」

1185年12月21日(旧暦文治元年11月28日)は、朝廷が源頼朝に「守護・地頭」の設置を認めた日です。これにより武家政権が実質的にスタートしました。鎌倉武士たちは、自らの自治を獲得するために大きな責任を引き受け、災害時には貴族の荘園の住民も含めた支援を行うことを承諾しました。経済的な利益ではなく「自由」を選び取ったこの選択は、後世の日本人に大きな影響を与えました。自由と誇りを重んじる武士の精神が、五百年続く武家政権の礎となりました。

  1. 現代社会への示唆:誇りと共同体

鎌倉武士の選択は、現代社会にも通じるテーマを投げかけています。一部の人々が富を独占する現代の経済構造と対比し、日本が目指すべき社会の姿を再考する必要性が語られました。特に、企業や共同体の在り方について、「みんなで協力し、一つの目標を成し遂げる」という精神が重要とされています。この精神が、経済の繁栄だけでなく、働く人々の幸福感をもたらすと強調しています。

まとめ

12月21日は、多くの歴史的な転換点を含む重要な日です。この動画では、過去の出来事を通じて、「誇り」や「自由」の価値を見つめ直し、現代社会の課題を考える視点を提供しました。歴史を学ぶことは、未来を築くための指針を得ることでもあります。この日を通じて、私たちの生き方や社会の在り方について新たな視点を得る機会としていただければと思います。

【原稿】

12月21日といいますと、ジェームズ・ネイスミスっていう方が考え出したバスケットボールの試合が初めて行われた日が今日だということであります。
1937年になりますけれども、世界初のカラー映像で、ディズニーの白雪姫が、今日12月21日に映画で公開されています。
こっからフルカラー映像の時代に入っていくんですね。
白雪姫は当時の日本語吹き替え版を今でも観ることができます。当時の声優さんたちの声なんですね。しかもそれが、戦前の頃の日本語なんです。当時の言葉が本当に丁寧で美しい日本語だったんだなという感じがすごくいたします。
面白いのが、白雪姫の声が、当時の若いお嬢さんが吹き替えをしているのですが、その(当時の)若いお嬢さんの声が、不思議なことに自分よりも年上のおばちゃんの声に聞こえます。話し方もおばあちゃんの話し方なんですね。今の自分からしたら、もう遥かに年下の年代の女性なのですが、もし今生きておいでになれば相当なご高齢になるわけで、それが若い頃の声でありながら、70歳になるボクよりも年上の女性が喋ってるように聞こえてしまうのです。人間の感覚ってのは面白いものだなと感じます。

それから1941年、この少し後になりますけれども、このときには先の大戦において日泰同盟、日本とタイとの同盟が構築された。だからタイも日本と同じく、先の大戦の敗戦国扱いをされてるわけですね。
この敗戦国という言い方に関しては、あえて敗戦国という言い方をさしていただきましたけども、我が国では終戦と呼んでいます。なぜ終戦なのかというと、日本が自主的に戦闘行為を終わらせた日だから。自主的に戦いを終わらせたのは何でっていうと、戦争っていうのは、これもいつも申し上げることなんですけれども、ルールがあるんですね。
軍服を着て軍帽もしくは鉄兜をかぶって銃を携帯している者であるならば、相手を射殺しても構わない。なぜならば戦争だから。だけど一般人に対する殺人は、国際法上これは許されていないのです。
一般人を殺害した場合は、これは戦争行為ではなく、たとえそれが軍人がやったことであっても、通常の刑事事件として裁かれるというのが、国際法のルールなんですね。さらに一般人への大量虐殺となると、これはジェノサイドと呼ばれるわけなんですが、完全な国際法上の犯罪行為です。
ところが昭和20年の8月6日と8月9日に、日本に原子爆弾が投下された。これについては、最近林千勝先生が「実は原爆じゃなかったんだと、単なる高性能爆弾だったのだ」という説を発表してらっしゃって大変話題になっていますが、それは本当に先生がおっしゃる通りかもしれない。
ただ原爆であれ、高性能爆弾であれ、いずれにしても、広島長崎で完全に民衆を狙った大量虐殺行為が行わそれってもう戦争ではない。戦争というのはあくまでも国家の外交の一つの手段であって、相手の国の一般の民衆を大量虐殺することに目的があるわけではない。従って日本は戦争はするけれども虐殺には一切加担しない。戦争が戦争ではなく、ただの虐殺になってしまった以上、これ以上戦争として継続することに何の意味もない。ということで、実は日本は「鉄の意志」をもって終戦という道を選んでるわけです。
このことは日本は我々日本人として、本当に誇りに思うべきことではないかと思うんですね。
「何言ってんだ。負けたものは負けたんだ」っていう考え方の方もおいでだろうとは思うんです。けれど単なる勝ち負けだけでものごとを測ってしまうことは僕は間違いではないかと思っています。
1941年のことですから、昭和16年、日米開戦が12月8日に始まって、そして同じ月に日本とタイとの間で同盟関係が締結された。タイは今でも大変な親日国でいてくれています。そういうことを我々日本人は忘れてはいけないんじゃないかと思います。

もう一つ。
今日12月21日は、旧暦ですと文治元年11月28日で、この日は、「文治の勅許」が行われた日になります。これは朝廷が源頼朝に、全国諸国に守護/地頭の設置と任命を認めるという勅許です。
同じく1185年に起こった出来事としては、有名な壇ノ浦の戦いがありました。
最近よく言われるんですけれども鎌倉幕府の成立っていうのはこれは1192年の朝廷が源頼朝を将軍に任命した年ではなくて、1185年が、これが武家政権の始まりという意味で、鎌倉時代の始まりになるんだ、あるいは鎌倉幕府の始まりになるんだというふうなことが、最近の教科書なんかでも書かれるようになりました。元々は「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」で、1192年、天皇から頼朝が将軍に任じられた日をもって鎌倉幕府の始まりとされていたものが、最近になって1185年説というふうに変更になったという。
この一つの理由が、実は朝廷によるこの「文治の勅許」です。
そういう意味では、12月の21日、今日この日っていうのは非常に歴史上重要なタイミングの日にちでもあるわけです。
ただ多くの方々が誤解されてることなんですけれども、朝廷がこのときに勅許与えた守護や地頭職というのはあくまでも、新田の開墾百姓である武士たちの守護地頭であって、その新田の開墾百姓たちから税を取る人の任命を認めたということにすぎません。
この時代全国のほとんどの田んぼは、貴族や天皇、あるいは寺社の荘園だったんです。
例えばずっと後年になりますけれども、有名な今川義元は、駿河の国、遠江の国、三河の国の三国を治める大大名だったわけです。この大大名の石高が76万石。本当に大きなお殿様ではあったんですが、なぜ今川義元が尾張国攻め込むという選択をしたのかというと、実は76万の石高のうち、およそ70万石は貴族の荘園だったんです。今川義元の取り分じゃない。
今川義元が直轄している武士の土地からの収入は、わずか6万石しかなかったんですね。
ところが、この文治の勅許には、一つの条件があって、武士に自分たちの土地の管理を認めてあげる代わりに、万一、地震が起こったり大規模な水害が起こったりして貴族が持っている荘園に万一ことがあったときは、その荘園の人たちの面倒は武家が見なくちゃいけないというレールがここで敷かれるわけです。
規模からすれば、貴族が持っている荘園の方が、武士の新田よりも圧倒的に面積が広い。つまり小さいところが大きなところの面倒を見なければならない。
「それでも構わない。俺たちは俺たちの自治っていうものをちゃんと任せてもらうんだ」ということで文治の勅許を源頼朝は受け入れてるわけです。

これ大変なことなんです。
経済的な利益を考えるなら、いざというときには、自分のとこの土地の10倍の土地に住む人々の面倒見なきゃならない。これは大変な貧乏くじです。それでも「俺たちの土地を、俺たちの財産を、俺たち自身の手で管理できる」ってことの方が遥かに大事だと、「俺たちが俺たちの生活っていうものを誰にも縛られることなく自由に築いていくんだ」ことを当時の武士たちが選択したというこだからです。

貴族になびくことは、言ってみれば大変な土地を持っている大変なお金持ちですよね。お金持ちに頭を下げる道を選ぶのか、それとも自由を取るのか。少々の苦痛もあるかもしれないけれども、でもそれ以上に、お金持ちにヘイコラするなんて、冗談じゃねえ。一寸の虫にも五分の魂っちゅうもんがあるんだい!という強い意思って、この文治の勅許を受け入れているわけです。
日本人ってのはもともとそういうところがあって、変に縛られよりも、とにかく自由なものの考え方、自由な行動ができることを好みます。
自由といっても、何でもかんでもやっていいというフリーダムではない。これは北辰一刀流の椎名先生がご自身の動画の中でおっしゃっていたことなんですけれど、自由と言ったら、こうやって自分で体を動かすことができる。自由に自分で体を動かすことができますけれど、こちら側にもし人がいたら、ぶん殴っちゃうことになりますよね?だから誰かがいたら、こっちの手は相変わらず自由ですけどこっちはちょっとしか動かすことができなくなる。
つまり自由っていうのは、周囲の人々との関係で、おのずとそこに制限が加わってくるんだと。そこをしっかりとわきまえなければ、お互い危なくなって、嫌な世の中になってしまう。互いに自制をしていくことが、これが自由であることの条件です。
鎌倉時代の武士たちも、自分たちがより大きなものの面倒を見なければならないというリスクを背負いながらも、それでも自分たちの自治、自分たちが自立して生きることができる、誰にも縛られずに生きることができるということを選択したのです。
そんな気概を持つのが鎌倉武士だから、江戸時代におきましても武士に対する最高の褒め言葉は「あなたはまるで鎌倉武士のようでございます」でした。鎌倉時代が全部が全部いい時代であったとは言いがたいところはあります。実際、鎌倉政権はわずかな期間で滅んでいったし、末期には御家人たちが相続制度の誤りから、食えない状態になるという大変な苦しみもあった。そういうこともちゃんとわかった上で、それでも彼らは自分たちよりも遥かに大きなものの面倒を見るという条件付きながらも、「自分たちの自治」をしっかりとやり遂げようとした。
これこそが「誇り」だったのです。そういう意味で、誇りが新しい時代を築いていく原動力になるものです。

一部の人たちの利権のために多くの民衆が犠牲にされる。たった1人のおっちゃんが、ポケットマネーでよその国に15兆円とか30兆円をカンパできる一方で、月に6万、7万円といったようなわずかなお金でようやく生活してるような人たちも日本にはたくさんおいでになるわけです。
本当にそれでいいの?と。ちょっと前まで日本というのは1億総中流と言いました。みんなみんなが決してお金持ちではない。でも決して貧乏ではない。
日本というのはずっとそういう国を目指してやってきた。そんな国柄を守ってきたのです。
そういう日本をしっかりと取り戻していく。
一部の人たちだけが贅沢三昧で暮らしをするということを憎いというのではありません。ただ世の中に貧困というものがあってはいけないし、そしてたくさんのお金を持ってらっしゃる方であれば、それは自分のポケットマネーではなくて、あくまでも公費と考える。
お金というのは、みんなの共同体である国が発行しています。ということは、国民みんなのものでもあるわけです。みんなのお金なのだから、みんなが豊かに安心して安全に暮らせるようにしていくために用いるのが、本来のお金のありかたです。
そういう社会システムっていうものをしっかりと考え、国家百年の大計、五百年の大計、千年の大計をしっかりと構築していく。それができる国柄を取り戻していく。
そのために必要なことが、「日本人としての誇り」ではないかと思います。
これは企業でも全く同じです。企業活動において、ただ給料が欲しい、ただお金を稼ぎたいというけれど、お金稼ぐ方法だったら別にその会社で働かなくたって、いろんな方法が今の時代、いくらでもあります。
でもここで、みんなで一緒になって一つのことを成し遂げていく。そそこにやっぱりみんなと一緒にできるという喜びもあり、もちろん仕事としての大変さもあるけれど、みんなと一緒に一つの物事をやっていくというよろこびもあるわけです。
そしてなぜみんなで一緒にやっていくんだと言えば、やっぱりその会社が好きだから、その仕事が好きだから、お互いに好きなもの同士で好きなことを一緒になってやっていこうよっていう、そういうコミュニティとしての企業活動ができるようになったら、間違いなくその会社は成果が上がっていきます。

決して自慢話をするわけではないんですけども、若い頃ね、会社で営業所長とか支店長さんとかっていうのをしたことがあって、そのときにわずかな間に、決して成績のいい営業所や支店ではなかった店を、ものの数ヶ月で全国一位の実績を出す店にしました。
そのとき、どうして小名木にそんなことができたんだって言ったら、やったことは「俺たちの店なんだ、俺たちの店なんだから、俺たちでやっていこうぜ」っていう、営業所を愛する、自分が働いている支店を愛する、自分と一緒に働いてる周りのみんなを愛する、そういうことができるようにしていったって、簡単に言ったらそれだけなんですよね。
それによってみんなの気持ちがだんだんだんだん変わっていくことによって、気がつくとものすごい勢いで成績が上がっていく。
だから、なんでしょうね。会社が儲かればお前たちは貧乏したっていいんだって言われたら、「ふざけんなよ、冗談じゃねぞ」ってなるし、あるいは会社の役員さんが「自分の給料を増やしたいからお前たちの首切るんだ」なんてなると、「いい加減にせえよ」ってなるじゃないですか。
だから本当に一つの運命共同体として、みんなが温かい気持ちで仕事ができるようにしていくって、すごく大事なことだ思います。
文治元年11月28日、新暦1185年12月21日の、この日まさに朝廷が頼朝に守護地頭を置く任命する勅許を与えた。
これは決して武家の側にしてみれば、100%いい内容ではなかった。
むしろ責任ばっかりが重くなって、万一災害でも起こった日にはとんでもないことになるリスクもあった。
それでも鎌倉武士たちは、「俺たちの自由」を、「俺たちと一緒に働いてくれている田んぼで働いてくれてるみんなが(まさに民です)豊かに安心して安全に暮らしていくことができるようにしていこう。誰にも邪魔されないで、俺たちで、俺たちの本当の理想の村を作っていこう。そのためには少々リスクあるかもしれないけれど、リスクの部分はわかった!俺が全部面倒見る。だからみんなで頑張っていこうじゃないか」っていう、この温かさが、一つ新しい武家政権の時代を築いたわけです。
武家政権の時代って、このあと、なんと五百年も続くのです。

本当に日本の先人たちっていうのは素晴らしいですよね。。

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