昔大ヒットしました漫画に「冒険ダン吉」というものがありました。
「冒険ダン吉」は肌の色が黄色いので、日本人だとわかります。名前も「ダン吉」ですからね。
その「ダン吉」が一緒にいる人々は、裸で腰にミノをつけてるだけでして、黒人さんてわかります。

肌の黒い人、そして腰に水をつけて上半身裸でいると、裸でいて、後ろの方には椰子の木なんかも書かれているということは、どうやら「冒険ダン吉」が活躍している場所は、南の島らしいということがおわかりいただけると思います。どうやらそこは裸国のようです。

人々が裸で暮らすことができるということは、そこは暖かなところでなくてはなりません。
というか、熱帯地方であらねばなりません。
つまり裸国は、熱帯にあったということになります。

もう一つの黒歯国は、歯を真っ黒に染めている国、つまり昔の日本にあったお歯黒の前身のような習慣を持つ国です。
習慣というのは、理由があって生まれるものですが、これら裸国・黒歯国は、魏志倭人伝に登場します。
魏志倭人伝は3世紀の末頃に書かれた書ですから、そんな裸国や黒歯国の様子は、おおむね2世紀から3世紀の初頭にかけての様子というのがわかります。

魏志倭人伝の記述には次のように書かれています。
「女王国の東、海を渡ること千余里にして、また国有り。みな倭種なり。また侏儒国あり、その南に在り。人長は三、四尺なり。女王を去ること四千余里、また裸国、黒歯国あり。またその東南に在り。船行一年にして至るべし。」

船で1年行った先ってどれぐらい先かといいますと、以前、台風がやってきたときに和歌山県の材木屋さんが被害に遭って、保管していた財木が流されちゃったんだそうです。
この流された材木がちょうど1年後に、中米の辺りに流れ着いたという記録があります。

太平洋の海流は、まず赤道直下で、赤道暖流という海流が米国側から日本側、つまり東から西に向けて流れています。
どうしてこのような現象が起きるかというと、地球が自転しているから。地球は個体ですが、海は流体ですので、地球が時点するときに、地面よりも少し動きが遅れるわけです。これが海流となって東から西に向けて流れる。

すると今度は、その周囲に海水がもとに戻ろうとして西から東への海流が発生します。
北側から戻るのが、北赤道海流です。
南側から戻るのが、南赤道海流です。
日本列島で、和歌山県沖で流された材木がどうなったかというと、この北赤道海流に乗って流れたとわかります。

日本近郊の海流は、台風とほぼ同じルートです。

私達の祖先は、3万8千年前には、葦船を用いて外洋航海をしていたことがわかっています。
船は、その発達の歴史があって、現代では最初の船が丸木舟だというのですが、丸木舟を作るためには、太い木を伐り倒して、木の中をくり抜く道具が必要になるのです。
けれど、青銅器や鉄器が登場するのは、8〜6千年前以降ですから、3万8千年前という途方もない昔には、まだ丸木舟を作ることができません。
ではどのような船を用いたのかといえば、それは葦船以外には考えられない。

葦は高さ4mぐらいで密集して生えます。
茎には節と節の間に竹のような空洞があり、水に浮きます。
そして冬には枯れるから、手でポキポキ折って収穫することが可能です。

その葦を束ねて、蔓性の植物の茎などを使ってギュッと縛る。
これで道具を用いずに葦船を作ることができます。

けれどそれだけでは、たとえば3万8千年前に、神津島でしか取れない黒曜石を全国に運ぶことは難しいし、そもそも潮流の激しい中を、波濤を越えて神津島まで往来することは困難です。
つまり、船に帆が必要なのです。

我々は、日よけに葦簀(よしず)を用いますが、あの材料が葦です。
葦簀は、横に葦を並べますが、これに縦の葦を組み合わせると、なんと帆ができるのです。
ちなみに、こうして生まれた平たい帆を作る記述は、そのまま布の発明へとつながっていったと考えられます。

葦で帆を作ることができるようになれば、葦船で、島伝いに日本側から北や南の米国大陸にまで行くことが可能です。
こうして倭人たちの生息エリアが、広く太平洋に広がっていったと考えれば、魏志倭人伝にあるように「船行一年」で裸国・黒歯国にたどり着くことが可能となります。

ちなみに日本では全く紹介されていませんけれども、南米のペルーにある民間の伝説では、「自分たちの祖先は元々日本からやってきた」というものがあります。

南米のインカ文明というのは完全に滅んでしまいましたけども、インカには人々から大変に愛される王様がいて、人々の生活や暮らしを第一とする素晴らしい王様のもと、大変に進んだ文明文化が発達していたといいます。
その文明文化がどこもたらされたのかというと、どうやら倭人たちによってもたらされたと考えるのが適切になるのです。

黒歯国についても、おもしろい番組がありました。
これは週刊女性Primeという本で紹介されたものですが、元々はテレビ朝日の放送です。
テレ朝のディレクターさんが南米で、ウィトの木の実を顔に塗るんです。

ウィトの実というのは、黒色の顔料インクになる素材で、一度この実の汁を顔や腕などに塗ると、3〜4ヶ月、取れません。石鹸で洗っても落ちないし、油落としみたいなものを使っても落ちません。

そのウィトの実は、たいへんに栄養価が高く、一粒食べるだけで1日中元気でいられる。
その代わり歯が真っ黒に染まります。
ところがウィトで真っ黒になった歯は、今度は虫歯になりにくい。
要するに歯が黒くコーティングされるんです。

人間で何がつらいって虫歯がつらい。
とりわけ歯医者のいなかった大昔では、虫歯は抜く以外に治療法はなかったし、抜いて歯がなくなれば、今度は物を食べられなくなります。
そして「食べられない」ということは、そのまま死を意味します。

ところが大昔、船で1年行った先の黒歯国の人々には、なぜか虫歯がない。
そこで南米と往来があった時代には、ウィトの実が日本まで運ばれ、人々が歯をウィトで黒く染めていたと考えられるのです。
ところが7世紀以降、日本が海洋国から、陸上の統一国家として国防を考えなければならなくなったとき、残念なことにウィトの実が手に入らなくなった。
そこでその時代に、おそらく鉄漿を使ったお歯黒へと文化がシフトしたのであろうと思われるのです。

7世紀というのは、強大な軍事国家として隋や唐が成立し、日本にその魔手を伸ばしてきた時代です。
そうした軍事的圧力を前に、日本もまた、それまでの豪族たちのゆるやかな集合体から、統一国家へとシフトしなければならなくなった。
こうした複雑な政治事情が、結果として裸国や黒歯国との交流まで絶たれる原因となったと考えられるのです。

紫式部が書いた源氏物語には、その注釈に「黒歯国」が出てきます。
つまり、源氏物語が書かれた10世紀の終わりから11世紀初頭にかけての日本では、まだ裸国や黒歯国が人々の常識としてあったということになります。

ほんの80年前、大日本帝國の版図は、広く太平洋に広がっていました。
もしかすると、それは、かつての倭国のエリアそのものであたのかもしれません。

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