昭和金融恐慌は国家の信用崩壊を招き、政党政治への不信と財閥支配を強める契機となりました。現在の通商摩擦や国際関係を照らし合わせ、日本が取るべき「誇りある道」とは何かを問いかけます。
◉ 昭和金融恐慌──制度崩壊が社会構造を変えた日
1927年4月21日、日本の金融史に大きな傷跡を残す「昭和金融恐慌」が発生しました。東京渡辺銀行の破綻発言(誤報)をきっかけに取り付け騒ぎが全国に波及し、中小銀行が次々と倒産。最終的には15行が休業し、特に預金者に華族が多かったことから、旧支配階層の没落にもつながりました。
さらに、技術力を持つ中小企業が倒れ、財閥系企業に吸収されたことで、「財閥一強」時代が加速。国民の不信感は政党政治へ向けられ、政治家たちの対策の遅れは「船頭多くして船山に登る」状態に陥ります。
ここで登場したのが高橋是清蔵相。片面印刷の200円札を大量に刷り、銀行に積み上げて「お金はある、心配するな」と国民にメッセージを送り、事態の沈静化に成功します。
◉ アメリカと日本の通商摩擦──現代に続く構造的問題
昭和金融恐慌の教訓を忘れたかのように、現代日本は再び“外圧”に振り回されています。アメリカから輸入する米に700%の関税が課せられているという話題の裏で、実際には政府調達と民間購入で仕組みが異なるなど、情報の断片化と正しい発信の欠如が問題です。
また、トランプ政権による対中制裁(25%)と、日本への一方的な関税圧力(100〜700%)を比較すると、日本が外交でなめられている現状が浮き彫りになります。
自動車においても、アメリカが日本から133万台購入しているのに対し、日本はアメリカ車をほとんど買っていない。理由は単純、性能と品質の差です。輸入車が売れないのは「市場が閉鎖的」だからではなく、製品そのものが日本人のニーズに応えていないからです。
◉ 日本人に求められる「堂々と意見を述べる勇気」
こうした外交問題や歴史的教訓の根底には、日本人の“言えなさ”が関係しています。会議の場で「なんとなく違うと思います…」ではなく、論理的に堂々と反論する文化を取り戻すべきだと語られます。
「アメリカに700%の関税をかけられた。ならば、日本も堂々と主張すべきではないか?」
「黙って従うのではなく、日本としての立場を持ち、対話に臨むべきではないか?」
これは単なる外交姿勢の問題ではありません。日本人としての誇り、アイデンティティ、文化への自信が問われているのです。
◉ 忘れられた「日本本来の政治文化」
さらに話は、日本古来の政治文化にも及びます。日本の政治システムは、古代から「権力と責任が対等」という思想で貫かれてきました。江戸時代には、誤った政策をとった老中は「切腹」や「お家断絶」といった責任を負いました。
政治に関わる者は、常に「お目付け役」や「三方向の報告」によって、監視され、責任を果たす仕組みがあったのです。
これは、18世紀以降に西洋が作り出した「議会制民主主義」よりも、ある意味で進んだ統治原理だったとも言えます。
その日本独自の政治文化が、明治以降の“西洋式模倣”のなかで薄れていったことが、現在の無責任な政治と国民の無力感に繋がっているのではないでしょうか。
◉ 日本を取り戻すために必要なのは「誇り」と「発信力」
今、世界は混乱の時代です。通商摩擦、国際緊張、メディアの偏向──。
こうした中で、日本がなすべきことは、「どうしましょう…」と迷うのではなく、自国の文化・歴史・精神に根ざした誇りある姿勢を取り戻すことです。
日本の伝統文化には「愛」と「責任」と「美」があります。それを支える「日本語」という言語、「農」に象徴される自然との共生、そして「おほみたから」としての民の存在。
本当の意味での再生は、「外からどう見られるか」ではなく、内からどう誇りを持てるかにかかっています。
