平安時代の繁栄は、日本書紀を基礎とした教育に支えられたものでした。血筋に関係なく、日本人としての心を共有したからこそ文化は花開いたのです。今こそ日本書紀の精神が求められています。

◉ 平安文化の源──日本書紀と共有の心

平安文化といえば、紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』に代表されるような、華やかな女流文化が思い浮かびますよね。この文化の土台には、ただ美しいものを生み出すというだけでなく、「大切な人を想う心」がありました。この「愛の心」は、国境も民族も越えて通じるものであり、当時の日本人はそれを自然に受け入れていたのです。

しかし、驚くべきは、平安初期の日本では国内人口の約3分の1が渡来系外国人だったという事実です。それでも文化が爛熟できたのは、ただ物理的に共存していたからではありません。日本という国柄に対する明確なアイデンティティと、それを支える教育──つまり日本書紀があったからです。

◉ 血筋を超えて「日本人」になれた理由

奈良時代に完成し、720年に元明天皇に献上された『日本書紀』は、その翌年から貴族の子女たちの教科書となり、全国的に普及していきました。この日本書紀には、日本という国がどのように成り立ち、いかに数々の困難を乗り越えてきたかが、ストーリー仕立てで書かれています。

この教育を受けた結果、たとえ血筋が外国人であっても、日本人としての誇りと使命感を自然に持つことができたのです。日本に暮らす以上、日本人化することが幸福への道である──そんな共通認識が社会に根付いていました。

つまり「より良いものを共有し、共に生きる」ことが当たり前であり、それが文化の繁栄を生み出したのです。

◉ 小野小町に見る、国境を越えた美と心

ここで登場するのが、超絶美女・小野小町。秋田出身の彼女は、もしかすると中東の血を引いていたかもしれないという説もあります。当時、秋田地方では渤海国との金交易が盛んで、交易の中で多くの中東商人が日本に来ていました。そのため、血の交流もあった可能性があるのです。

小野小町が詠んだ歌──「思いつつ寝ればや人の見えつらむ」──は、大切な人を想う心を見事に表しています。彼女は単に美しいだけではなく、日本文化の香り高い「愛」の体現者でした。見た目の美しさと内面の文化の豊かさが一体となっていたからこそ、後世にわたって愛され続けているのです。

彼女の生き方は、「出自がどこであれ、良いものを共有し、文化の一員となろうとするなら、誰でも日本人になれる」という大切な教訓を現代に伝えています。

◉ 現代日本に必要なもの──再び日本書紀の精神を

しかし、今の日本はどうでしょうか?わずか0.1%の外国勢力による「ありもしない恨み」や「ファンタジー」によって、日本の文化や心が壊されつつあります。本来ならば、より良いものを共有し、共に生きるべき社会が、分断や憎しみによって壊されかねない危機に瀕しています。

だからこそ、今改めて日本書紀の精神が必要です。日本とは何か、日本人とは何か、そして本当に大切なものは何か──それを私たちはもう一度胸に刻みなおさなければなりません。

大切な人を思う心。それは、国を愛し、世界を愛する力にもなります。小野小町が愛した日本を、今を生きる私たちも守り、育んでいきましょう!🌸

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