中田厚仁さんは、カンボジアの平和選挙を支援するため、25歳で命を落としました。
彼の「だけども僕はやる」という精神と、日本人が持つ誠実な生き方について、歴史の流れとともに振り返ります。

◉ 4月29日──昭和天皇の誕生日と、昭和を背負った時代

4月29日は、昭和天皇の誕生日。
昭和の時代を象徴する存在であり、今なお深い感謝を捧げるべき日です。
同時に、昭和18年のこの日、アリューシャン方面で日本軍守備隊が米軍の猛攻を受け、熾烈な戦いの末に全滅した「アッツ島の戦い」もありました。
こうした歴史を踏まえ、夜のライブでは昭和天皇とアッツ島の戦いについてお話する予定です。

◉ カンボジアと中田厚仁さん──内戦、地雷、そして平和への願い

カンボジアは20年以上の内戦で荒廃し、国中に1000万発もの中国製地雷が埋められていました。
地雷は「敵を殺す」のではなく「傷つけ、国力を削ぐ」非人道的な兵器です。
当時、日本の外務大臣・宇野宗佑氏の努力で和平交渉が進みましたが、国際的な工作により、宇野氏は短命政権で失脚します。

国連によるPKO活動の一環で、カンボジアに派遣された中に、中田厚仁さんがいました。
彼は25歳、大阪大学法学部を卒業後、自ら志願して最も危険な地域・コンポトム州を担当します。
丸腰で川を泳ぎ、村々を訪れ、選挙の意義をひたすら説いて回りました。

◉ 命を賭して伝えた「信じる力」

平成5年4月8日、移動中にポルポト派兵士に襲撃され、中田さんは銃撃を受けました。
最後に本部へ送った無線は、「I’m dying(私は死んでいきます)」という一言。
彼は命尽きる瞬間まで、志を貫こうとされました。

その後行われたカンボジア初の選挙では、投票率90%超えました。
中田さんが担当したコンポトム州では、驚異の99.99%という高投票率が記録されています。
選挙箱には、中田さんへの感謝と哀悼の手紙が多数入れられていました。

彼の亡き地には「ナカタアツヒト・コミューン(アツ村)」がつくられ、
いまも村歌と共に、彼の魂が生き続けています。

◉ 日本人の誠実さと、未来へ受け継ぐ志

これほどの功績を遺しながら、日本国内で中田さんの存在はほとんど知られていません。
チャイナへの配慮──武器供与、地雷敷設、ゲリラ支援──こうした事実に触れることが外交問題に繋がるため、政府もメディアも、彼のことを正面から語ろうとしません。

しかし、中田さんの、
「だけども僕はやる」という生き方は、
まさに日本人が縄文以来大切にしてきた「誠実さ」そのものです。

日本人は、力の誇示ではなく、誠実を尽くすことで道を切り拓く民族です。
中田厚仁さんの生き様は、今を生きる私たちに、
「たとえ一人でも、信じる道を歩め」という大切なメッセージを残してくれています。

🎬まとめ

中田厚仁さんが遺したもの──
それは、信じる力と、誠実さを貫く勇気でした。

私たちも、どんな困難な時代であっても、
誠実という道を信じ、歩み続ける日本人でありたい。

「だけども僕はやる」
その精神を胸に、今日を、明日を、生き抜いていきましょう。

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