7月17日に起きた「ひめゆりの塔事件」と安倍元総理襲撃事件を比較し、日本社会に潜む「仕組まれた暴力」への危機意識を深掘り。公の精神と“普通の日本”を取り戻すための歴史的考察とメッセージを届けます。

◆ ひめゆりの塔事件が示す「見逃された警備の穴」

1975年7月17日、沖縄・糸満市のひめゆりの塔を訪れた当時の皇太子明仁親王と美智子妃に向かって、左翼過激派が火炎瓶を投げつけた事件が発生しました。
幸いにもお二人に怪我はありませんでしたが、献花台が炎上し、皇室へのテロという重大事件となりました。

この事件では、当初は本土から5,000人の警備を予定していたにもか
かわらず、「過剰警備」とのメディア批判を受け、三木武夫首相の判断により3,700人に縮小されました。また、事件直前に警察車両の無線機が盗まれ、犯行グループが沖縄入りするのを見逃すなど、警備体制の甘さが次々と露呈。

警備責任者であった佐々淳行氏は、地下壕の事前点検を提案するも「県民感情を逆なでする」として却下され、事件後に辞表を提出。受理はされなかったものの、国家としての警備体制のあり方が深く問われた出来事でした。

◆ 安倍元総理襲撃事件と通じる「意図された空白」

この事件は、2022年に起こった安倍晋三元総理の奈良における襲撃事件を彷彿とさせます。
いずれも、明らかに「警備の穴」が意図的に放置されたのではないかと疑われる点で共通しています。

ひめゆりの塔事件では火炎瓶という比較的原始的な武器でしたが、もし爆弾や銃火器が使われていれば、世界的なスキャンダルとなる重大な皇室テロ事件に発展していた可能性も否定できません。

安倍元総理の事件では、アメリカ製の銃が使われたとの説や、警備側の意図的な手抜きが噂されるなど、「偶発的」で済ませられない不自然さが残っています。
いずれにせよ、「暴力による改革」は決して許されるものではなく、国として毅然と拒否すべき姿勢が求められます。

◆ 「普通の日本」に戻るために必要なもの

この日の話題はさらに広がり、1977年のキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」発言にも言及。
「普通の日本に戻りたい」という現代人の切なる願いが、今の政治変動の背景にあると語ります。

また、1868年の東京「奠都」(てんと)にも触れ、京都と東京が“二都”である意味、天皇の本当の御座所はどこか、という古代からの統治思想にも踏み込んでいます。
「都=キャピタル=主権者の所在」とする国際常識と、現行の曖昧な首都概念のズレも明快に指摘されています。

日本は本来、「個人の自由」ではなく、「公(おおやけ)」を大切にしてきた国です。
公とは国民全体の集合体。その誰もが安心して暮らせる社会を築くことが、日本の「普通」であり、本来の姿なのだと呼びかけます。

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現代の日本が抱える課題の核心に、「見過ごされてきた危機」と「忘れられた日本の公の精神」があります。
7月17日の歴史的事件を通して、それらを明るく、かつ真剣に考えるライブとなっています。どうぞご覧ください♪

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