日本のこれから 『自分を大切に』その言葉に隠された意味【Part.4】|雑賀信朋×小名木善行

小名木:先生から見て、現在の日本がどのように見えているのか、いま日本は何をどうしていかなければならないのかというあたりのお話を伺ってもよろしいかしら。

雑賀:昔から「政(まつりごと)」という言葉があるように、昔から日本では政治と宗教儀礼としてのお祭りが一体でした。ところが明治から戦後にかけて政治と祭事が切り離されて別のものになりました。このことは日本の長い歴史を見て異例なことです。その意味で現代化というのは、日本の国のあり方自体が変わってきたことだと思います。けれどそうなってから、まだそんなに時間が経っていないわけです。まだ100年かそこらです。
ですから、これから祭事と政治を切り離した日本がどうなっていくかは不透明なところですが、神道を護るといういことと、政治を護るといういこと、ここが今の日本人が曖昧にしているところです。学校では政治の勉強はしても神道の勉強はしない。いまの時代いろいろな宗教の方いらっしゃいますから、学校で特定の宗教だけを扱うのはいかがなものかということで、宗教に関する授業そのものがかなり減ってきています。
けれどもせめて基礎的な、日本の成り立ちとかそういったところぐらいは教えていただきたいなと思いますが、それさえもなかなか難しい。政治と宗教が切り離されてしまって、靖国神社に総理大臣が参拝するだけでも問題になる。
そもそも日本国憲法自体が、戦後にGHQが作ったものです。けれどその日本国憲法の第1条は天皇ですよね。天皇というのは神に祈りを捧げる御存在です。その天皇を我が国のシンボルだとして、これを日本語に翻訳して象徴としている。つまり乾祈りのシンボルが、まさに日本国憲法の第1条になってると考えれば、憲法自体が何も信仰を否定してるわけではないわけです。祈りを否定してない。だってそれが第1条です。
にもかかわらず、憲法の第20条で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と、政治と信仰を切り離しています。つまり憲法の内部で内部矛盾を犯してしまってるという状況にあって、日本人自身の心もまた引き裂かれてバラバラになってしまってるというところがあるのかなという気がします。

小名木:いま、雑賀先生のようなお若い方が、もうもう陸続と目覚めつつあり、このような本も出ているというところから、まだまだ日本は捨てたもんじゃないぞという感をますます強くさせていただいた次第です。
最後に一言、先生からこの番組を見ておいでの皆様に、「これだけはお伝えしたい」というひとことをいただければと思うのですがいかがでしょう。

雑賀:そうですね。「自分を大切に」です。いまの時代、SNSとか、いろいろなインターネット情報ツールがあるので、様々な情報を目にするだけじゃなく、自分でも発信します。
するとどうしても、叩かれてしまったり、それによって自分の精神を病んでしまったりっていう方が多くなります。現代人は、メンタルが非常に繊細になってしまってるように思います。私が申し上げたい「自分を大切に」という言葉は、自分の身を守るということではなく、「自分の信念を貫き通す」という意味です。
「これ叩かれてしまうかな」とか、「言わない方がいいのかな」とか、「こういう思想は持たない方がいいのかな」といったことで消極的になってしまっているように思うのです。
人間ですから、人それぞれに信念や信条というものが存在していて、それにのっとって生きてると思うんです。それをだんだんに曲げていってしまったら、自分がどこにあるかさえもわからなくなってしまいます。
ですから「自分を大切に」というのは、自分の身を守ることではなく、「自分の信念を貫き通す」という意味で、自分を大切にしてほしいなと思います。

小名木:はいありがとうございます。「自分の信念を貫き通す」。日本人として日本人らしく、すべてにチャレンジをしていきたいと思っております。

雑賀先生の発信する情報を、これからもぜひ皆さんチェックしていただきたいと思います。
下の概要欄に雑賀先生のSNSのURLを貼っておきます。
ぜひですねそちらのチェックいただきましてできれば皆さんフォローになっていただければと思います。

僕も早速登録しようと思います。ということで先生本当に今回ご指導いただきましてありがとうございました。

雑賀:ありがとうございました。

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