「バターン死の行軍」と呼ばれる戦時の出来事について、写真資料とともにその実態を明かします。戦後長く続いてきた「日本軍悪玉説」がいかに作られ、事実がどのように歪められてきたかを解説します。

◉ 写真が語る「死の行軍」の真実とは?

今回取り上げたのは、戦時中の「バターン死の行軍」と呼ばれる出来事です。1942年、日本軍がフィリピンのバターン半島を制圧した際、約7万6000人のアメリカ軍捕虜を約80km離れた収容所まで移送しました。これが「死の行軍」と呼ばれてきたものですが、残されている写真には、兵士たちが海水浴を楽しんだり、ポーカーに興じたり、のんびり煙草を吸っていたりと、実際には“遠足のような”様子が写されています。

日本側は、小柄な兵士たちが20キロ以上の装備を背負い、約100人のアメリカ兵捕虜に1人の割合で配置されていたという状況であり、過剰な監視や暴力行為を行う余裕すらなかったと考えられます。実際に移動距離は1日14キロほどで、無理のないペースだったことも記録されています。

戦争という状況下である以上、体調を崩して倒れた兵士がいたことは事実ですが、それが虐殺や残虐行為だったとは到底言えない状況であり、むしろ日本軍の対応は人道的だったというべきです。

◉ 歪められた歴史と「洗脳」の構造

戦後、アメリカ側はこの行軍を「日本軍の非道の象徴」として宣伝に利用し、日本を悪玉とするストーリーを定着させました。これはいわば「思想によって事実を縛る」典型的なプロパガンダであり、人間よりも思想が上に来てしまうことで、真実がねじ曲げられていきました。

しかしこの背景には、日本があまりにも早くフィリピンを占領し、マッカーサー将軍が退却したという不都合な現実があったのです。戦時中の宣伝はある意味、仕方のない部分もありますが、戦後80年を経た今、私たちは事実を冷静に見つめ直し、過去から学ぶことが求められています。

特に「嘘で塗り固めた歴史」を信じ続けることの危険性は、今の日本社会や国際関係においても多くの悪影響を及ぼしています。思想や政治的立場よりも、事実を大切にする姿勢が求められているのです。

◉ 感謝と共生の精神が未来をつくる

戦争は確かに多くの悲しみを生みましたが、戦後の日本はアメリカからの支援や技術提供によって急速に復興しました。自動車産業を始め、多くの分野でアメリカから無償提供された特許や技術が今日の日本の基盤となっています。

だからこそ、ただアメリカを非難するのではなく、戦後の感謝の気持ちを忘れず、未来志向のパートナーシップを築くことが大切です。そのためには、まず歴史を正しく見つめ、嘘や誇張を排除した“事実に基づく理解”を共有することが必要です。

また、政治的イデオロギーや思想が人間の命や暮らしよりも優先されてしまうような社会ではなく、家族・地域・国を愛するという「人間のための思想」を大切にするべきだという提言もなされました。

バターンの「死の行軍」という物語に象徴されるような、思想に基づいた誤解やねつ造を超えて、真実を見つめ、感謝と共生の未来を目指すこと。これこそが、現代に生きる私たちにとって最も大切な姿勢なのではないでしょうか。

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