白村江の敗戦後、捕虜として唐に送られた大伴部博麻は、祖国の危機を察し、自らを奴隷に売ってその旅費で仲間を帰国させ、天皇に重大情報を伝えました。彼の誠実と忠義は、日本唯一の「愛国の詔」として歴史に刻まれます。

◉ ただの一兵卒が国家の命運を左右した

今回取り上げるのは、白村江の戦いで唐軍の捕虜となった一人の名もなき兵士、大伴部博麻(おおとものべのはかま)です。彼は特別な力も地位も持たない、どこにでもいる普通の男でした。ところが、彼の行動が国家を救い、歴史に刻まれるほどの評価を受けることになります。

663年、倭国は百済再興を目指して朝鮮半島へ出兵しましたが、白村江の戦いで大敗を喫します。この戦いに従軍していた博麻は、捕虜として唐の都・長安に連行されます。そこでは拘束されず、比較的自由に動ける立場にあったようですが、彼は唐が日本への侵攻を計画しているとの情報を耳にします。

事態の重大さを悟った博麻は、自らを奴隷に売ることでその資金を捻出し、仲間4人にその金で日本へ帰国し情報を伝えるよう託します。この決断こそが、祖国・日本の防衛を間に合わせ、国家存亡の危機を救ったのです。

◉ 天皇から授けられた「愛国」の詔

博麻の行動は、当時の持統天皇にまで届きました。そして彼は、日本史上唯一となる「愛国」の詔(みことのり)を賜ることになります。これこそが、天皇が一般庶民に与えた唯一の詔であり、「国を思う心=愛国」が、我が国におけるもっとも尊い美徳であることを示しています。

ここでの「愛」は、ただの感情ではなく、「思い」のことであり、「誠実に、真心を尽くす」ことそのものでした。武力や権力で国に貢献したのではなく、誠を貫いたからこそ、天皇は博麻を顕彰し、田畑や布、絹などの褒賞まで与えました。

この事例は、日本という国が、戦いや征服よりも、誠実と真心を重んじる国家であることを、明確に物語っています。

◉ 日本の「英雄像」と国のかたち

現代では「英雄」というと、戦いに勝った人物やカリスマ的リーダーを想像しがちですが、日本における真の英雄は、大伴部博麻のように「誠を貫く人」です。
誠実に生き、目立たずとも正しいことをやり抜く──これこそが、日本が育んできた“臣民の理想像”がここにあります。

また、持統天皇の対応にも注目すべきです。
持統天皇は、武による「支配」ではなく、「教育と文化による統治」を目指されました。
皇位継承の明文化や地方統治の安定を図った彼女の政治は、国づくりの大きな礎となったのです。

このように、武でなく“教育と文化”で国を治めるという理念は、現代の日本にも深く根付いています。つまり、博麻の行為と、それを称えた天皇の姿勢は、日本の国柄そのものを象徴する歴史の一場面だったのです。

◉ 「愛国」とは何か──現代へのメッセージ

戦後、「愛国」という言葉はしばしば誤解され、過去の戦争と結び付けられて語られることが多くなりました。しかし、この物語が示すように、「愛国」とは国家や政府を盲目的に礼賛することではありません。
人として当然の“思いやり”と“誠意”を、自分の所属する共同体に対しても尽くすこと──それが本来の意味なのです。

親を思い、家族を思い、郷土を思い、そして国を思う。この自然な流れの中に「愛国」はあります。大伴部博麻の生き方は、まさにそれを体現したものです。

現代の私たちもまた、困難な時代に立っています。しかし、この国の根幹には「教育と文化による統治」があります。だからこそ、どれほど小さな立場であっても、「誠を尽くすことが国を支える道となる」のです。

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