ナイチンゲールの献身が女性の看護の道を開き、日本では岩崎ゆきがその志を継承。彼女の遺書に込められた覚悟と愛国心は、多くの人々の胸を打ちました。その歴史的背景と意義を掘り下げます。

◉ ナイチンゲールの登場と近代看護の誕生
5月12日は、1820年に生まれたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日であり、赤十字社により「ナイチンゲール・デー」として制定されています。彼女は看護師としてクリミア戦争(1853〜1856年)の野戦病院で負傷兵の看護に従事し、極めて劣悪な衛生環境の中で多くの命を救いました。ナイチンゲールの功績は単なる看護にとどまらず、看護教育や統計学、医療制度の改革にも影響を与え、女性が社会的に看護の職業に就く道を切り拓いた点にこそ意義があります。

◉ 日本におけるナイチンゲール精神の継承
このナイチンゲールの精神は、日本でも明治時代に受け継がれました。特に象徴的なのが、岩崎ゆきという若き女性の存在です。彼女はわずか17歳で日本赤十字社から広島陸軍予備病院へ派遣され、伝染病病棟で看護にあたりました。当時、伝染病患者の看護は極めて過酷で危険な任務でしたが、彼女はその大役に誇りを持ち、献身的に看護を続けました。

◉ 岩崎ゆきの遺書に込められた覚悟
腸チフスに感染し、わずか5ヶ月の勤務の末に命を落とした岩崎ゆき。彼女の遺書には、天皇陛下に命を捧げる覚悟、看護の仕事を「家門の誉れ」とまで表現する誇り、そして患者たちへの深い思いやりが綴られています。中には、死を前にしても故郷や家族を思わず「護国の鬼となる」と叫んで息絶えた兵士たちの姿も描かれており、その臨場感と共に時代の空気が伝わってきます。

この遺書は石黒軍医総監を経て昭憲皇后陛下にも献上され、看護婦という職業の尊さが公に認められる一助ともなりました。

◉ 看護という“道”を今に活かす
看護は単なる医療行為にとどまらず、人間の痛みに寄り添い、心を癒す“道”でもあります。ナイチンゲールや岩崎ゆきの姿は、看護が単なる職業ではなく、日本人が大切にしてきた「公のために生きる」という精神の体現でもあります。現代に生きる私たちが、この精神を忘れずに継承していくことこそ、彼女たちへの最大の敬意と言えるでしょう。

◉ 日本人として
戦後の日本には、「子供たちが戦争に行かされる!」と声高に騒ぐ輩がいます。いまもいます。
けれどそういう人たちは、
「私が命に代えても子供を守る!」
とは、絶対に言いません。
自分だけ安全な場所にいて、口ばかりの輩は、日本人ではありません。
国籍があれば日本人・・という思考は、間違っていると思います。

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