1019年、壱岐・対馬を襲撃した刀伊の入寇事件。民間人の虐殺・拉致が横行する中、日本人の責任感と武士団の奮闘が国を救いました。歴史の記憶と真実を、現代に問い直します。
◉ 種痘と人類を救った医学の進歩
1796年5月14日、イギリスのジェンナーが種痘を成功させたことを記念し、この日は「種痘の日」とされています。天然痘は致死率が高く、世界中で恐れられた感染症でした。しかし、種痘の発明と普及により、1979年にはWHOが天然痘の根絶を宣言。人類が初めて克服した感染症となりました。
日本では、幕末の緒方洪庵が種痘を普及させ、人道と公益のために尽力したことも語られました。当時の医療は「人のため、道のため」であり、貧者には無償で治療を施し、富裕層がその分を補填するという倫理的な枠組みが存在していたのです。
それに対し、現代の医療は金儲け主義に傾き、本来の精神が失われつつあると警鐘を鳴らしました。高価な医療機器、外国産薬品の偏重、点数制度による過剰医療など、現代医療の構造的問題も浮き彫りにされました。
◉ 壱岐・対馬を襲った“もう一つの元寇”
1019年5月、壱岐・対馬に襲来した「刀伊の入寇」は、近代史で語られる元寇とは別に、日本が大規模な外敵襲来を受けた未曾有の事件です。
当時、50隻の大型船団に3000人の兵が乗り、壱岐に上陸。村々を襲い、牛馬や人を殺し、若い女性は拉致され、病人や老人は海に投げ捨てられました。さらに寺院の国分寺に立てこもった住民たちは必死に抵抗しますが、全滅。日本側の被害は甚大で、生き残った島民はわずか35人ほど。
この知らせを受けた太宰府では、権帥・藤原隆家が素早く対応し、九州の武士団を招集。数に劣る中、ゲリラ的戦術で撃退に成功します。最終的には神風によって敵軍の船が動けなくなり、日本の反撃が成功。多くの拉致された人々も救出されました。
◉ 戦いの根源にある“責任感”という力
当時の日本人がなぜここまで強かったのか? その答えは「責任感」にあると語られます。命令で動く大陸の兵士と違い、日本の武士や住民は、自分たちの家族・仲間・土地を守るために、自らの意思で戦ったのです。
たとえ不利な状況でも「自分が5分でも敵を食い止めれば、後ろの者たちを守れる」と命をかけて立ち向かう精神があった。だからこそ、彼らは最後まで戦い抜き、勝利を収めたのです。
一方、敵側は敗北すると「自分たちは拉致された被害者だ」と供述。この千年前の“嘘の文化”は、現代でも変わっていないと指摘されました。事件名を「高麗の入寇」ではなく「刀伊の入寇」とした背景には、外交配慮と拉致被害者返還の交渉戦略があったことも語られ、情報の操作と呼称の重要性が強調されました。
◉ 日本人の誠実さと世界へのメッセージ
戦後、日本は「加害者」とされ、数千万の虐殺を行ったとする虚偽の情報まで流布されてきました。しかし実際には、真面目に、誠実に、そして懸命に生きてきたのが日本人です。
多少の過ちや曲がり道があったとしても、その瞬間瞬間を一生懸命生きてきたという事実にこそ、誇りを持つべきだと訴えかけます。
歴史を正しく知ること。
そして、自分たちが“なぜ日本に生まれたのか”を再認識すること。
それが、未来のために最も大切な学びであると、今回の配信は力強く伝えています。
