日本は紀元前、疫病により人口が激減しましたが、手水や距離感の作法など独自の文化を形成し、克服しました。現代のパンデミックにも通じる日本人の知恵と精神文化を見つめ直します。

◉ 2500年前、日本を襲った史上最悪の疫病

今回のお話は、日本が2500年前に直面した「国家存亡の危機」とも言える疫病との戦いについてです。
当時の日本列島には約26万人の人々が暮らしていましたが、この疫病の流行により、その人口がわずか8万人にまで激減しました。
これは東京大学のDNA研究チームによって科学的に裏付けられた事実であり、古事記や日本書紀に記された「国の三分の二が死滅した」という記述と一致します。

このときの天皇は、第10代・崇神天皇。
人々の体が黒く変色して死に至るという未知の症状に、天皇は神々の怒りととらえ、宮中で祀っていた天照大神を別の地へ遷座する決断をします。
これが伊勢神宮創建の端緒とも言われています。

さらに全国から神々への祈りが殺到する混乱を収めるため、神社を「天社(あまつやしろ)」「国社(くにつやしろ)」「神所(かむところ)」「神戸(かむべ)」の四段階に分類し、国家として初めて神社制度を体系化します。

◉ 神社の「手水舎」が疫病を防いだ──世界最古の感染症対策

さらに崇神天皇の時代、人々が集う神社の入口には「手水舎(ちょうずしゃ)」が設けられ、手を洗い口をすすぐ作法が定着していきます。
当時、日本には仏教も伝来しておらず、神社こそが人々の交流と祈りの場でした。
この「手を清めてから入る」という文化が、疫病の拡大を抑える決定的な要因となりました。

この手洗い文化が、後にヨーロッパで猛威をふるったスペイン風邪を例にとって比較されます。
20世紀初頭、世界で5億人が感染、1億人が死亡したこの病の中、唯一デンマークはほとんど被害を受けませんでした。
その理由は、食卓をアルコールで拭くという何気ない習慣が感染を防いでいたためといいます。

日本ではその遥か以前から、「衛生」を文化として取り入れていたのです。

◉ 「距離」と「非接触」の作法に込められた知恵と文化

日本の挨拶作法──畳一枚分(約1.8m)の距離をとって頭を下げるという伝統も、実は感染症対策に基づいて生まれた文化でした。
肌と肌の接触を避け、唾液の飛沫も防ぐという、極めて合理的かつ心を伝える形式美です。

欧米文化に見られる「ハグ」や「キス」といった身体的接触による愛情表現を持たずとも、日本人は「心と心を通わせる」形で絆を築いてきました。
これもまた、高温多湿という疫病が蔓延しやすい日本の風土の中で、長年にわたって磨かれてきた知恵です。

また、動線を自然と分ける神社の設計──参道の中央を避けて歩く、参拝後の帰路は別の道を通るといった工夫も、密を避けるための構造として機能していました。

◉ 食文化と暮らしの中に宿る「感染症対策」

日本の伝統的な食文化もまた、感染症を防ぐ知恵に満ちています。
生野菜や刺身を食べるようになったのは比較的最近のこと。
それ以前は、食材は必ず煮たり焼いたりして熱処理を施すことが基本でした。
これは寄生虫や細菌から身を守るための生活の知恵です。

そして「味噌汁」「煮物」「漬物」など、発酵と加熱を組み合わせた調理法は、腸内環境を整え、免疫力を高めるものでもありました。

こうした文化は決して偶然ではありません。疫病に直面した民族が、繰り返し試行錯誤を繰り返す中で得た、生き残りのための生活知です。

◉ 文化としての「清め」と「慎み」が命をつないだ

今回のテーマの結論は、「疫病を恐れ、逃げる」のではなく、「疫病と向き合い、克服する」ことこそが日本文化の真髄であるという点です。

手水、礼儀、非接触、動線の設計、煮沸調理──こうした一つひとつの文化が、日本人の命をつなぎ、今私たちがここに生きている理由となっています。

また、この文化が世界的にも稀な「大規模感染症の拡大を未然に防ぎ続けてきた」理由であり、これからの時代においても、再評価されるべき大きな財産です。

今、新たなパンデミックの兆しが世界で語られる中にあってこそ、日本人が持っている「慎みと清めの文化」の価値を、私たちはもう一度しっかりと見つめ直すべきではないでしょうか。

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