イモムシを神と崇めさせ、民の財産を搾取した教祖・大生部を、秦河勝が討った古代事件。この史実を通じて、信仰と詐欺の違い、国家の責任、そして現代に通じる教訓を紐解きます。

◉ 1370年前の詐欺教団──「イモムシ様」を崇めさせた大生部

西暦644年、皇極天皇の御代、富士川のほとりに現れた男・大生部多(おほふべのおほ)は、自らを「常世の神」と称し、イモムシを神と祀らせて人々の財産を巻き上げる詐欺行為を行いました。
「これを拝めば富と若さが得られる」と吹聴し、信者の女性に舞を踊らせて信仰心をあおり、多くの民が財宝を差し出しました。

人々は日々の悩みや不安から、わらをもすがる思いで「イモムシ様」に縋りました。
病気、貧困、家庭問題、受験など、現代にも通じる苦しみに対し、「信じれば救われる」という甘言が広まり、詐欺はまるで癌細胞のように広がっていきました。

◉ 登場した英雄・秦河勝──悪を断ち切る「たける」の覚悟

この暴走を止めたのが、聖徳太子の側近として名高い秦河勝です。
彼は、人々を犠牲にして自己利益を得る大生部の歪んだ自己中心性を憎み、一刀両断にこれを討ち果たしました。

人々はその正義に感謝し、「太秦(うずまさ)は神の中の神」と讃える歌まで生まれました。
秦河勝の行動は、単なる宗教批判ではなく、「人が人を食い物にする構造」そのものに対する断固たる拒否だったのです。

秦河勝は、もともと秦の始皇帝の血を引くと伝わる渡来系の族長で、丁未の乱では物部守屋の首を取ったという武功の持ち主。
信仰や思想の違いを超えて、「人のために立つ」ことこそが日本的な「たける(武る)」の精神でありました。

◉ なぜ「詐欺」はなくならない?──信仰の自由と国家の責任

この事件の本質は、「イモムシ信仰」でも、「詐欺そのもの」でもなく、大生部の自己中心性にあります。
「信じたい」という人間の弱さに漬け込み、都合の良い偶然を「御利益」として利用する手口は、現代の詐欺的宗教とも酷似しています。

問題は、詐欺の法的立証が難しいこと。
信仰と詐欺の境界が曖昧な中で、大切なのは「自分の頭で考える冷静さ」と「異常を止める“たける”の存在」だということです。

現代の日本では、サリン事件を起こしたオウム真理教のような明確なテロ集団ですら、宗教の名のもとに長く野放しにされました。
武装集団であっても、法律上の線引きの限界により、国家は人々を守れないという歪な現実があります。

国とは本来、人々が安全・安心に暮らすための仕組みであるはずです。
それが果たされていないなら、まるで「イモムシ教団の国家版」のようなものです。

◉ 私たちに必要なのは「意識改革」──たける心の再生へ

国家を変える前に、私たち自身が「何が正義か」「人としてどうあるべきか」を考える必要があります。
他人の痛みを知り、悪を見過ごさず、自らの良心に従って立ち上がる「たける」心。
それは過去の偉人だけでなく、今を生きる私たちにも求められているものです。

人間は悩みの中にあるとき、思考停止しやすくなります。
そんなときこそ、誰かが声をあげ、冷静な判断力と行動力を持って、社会の免疫細胞となる必要があります。
秦河勝は、まさにその役割を果たした日本の英雄であり、その精神は今も私たちに受け継がれるべきものなのです。

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