家康の養女・満天姫は、政略結婚と夫の非業の死、そして再婚先での跡目争いに巻き込まれます。母として、時に子を守り、時に子を失いながら生き抜いた満天姫の覚悟の人生は、現代に深い問いを投げかけます。
◉ 運命に翻弄された家康の養女──満天姫の出発点
満天姫は徳川家康の異父弟・松平康元の娘として生まれ、家康の養女として育てられました。
政略の道具として福島正則の養嗣子・福島正之に嫁ぎますが、正之は失脚・幽閉され、24歳で餓死。
そのとき満天姫は正之の子を身ごもっていました。
◉ 母の願いと政治のはざまで──子を失う決断
正之の死後、満天姫は津軽家に再嫁します。
そこでは石田三成の娘・辰姫とともに、それぞれの子が家督を争う微妙な立場に置かれます。
やがて、福島正之との子・直秀が福島家再興を幕府に直訴しようと動き出した時、満天姫は“津軽家を守るため”直秀に毒を盛ったと伝えられています(諸説あり)。
母が我が子に手をかけるという、あまりにも重い決断でした。
◉ 出家と晩年──「覚悟」として生き抜いた人生
息子を失った後、満天姫は葉縦院と号して出家し、津軽弘前で生涯を終えます。
その名には「心に刃を立てる」覚悟が込められていたとも言われています。
時代の理不尽に屈せず、静かに、しかし力強く生きた満天姫の生涯は、
「生きるとは覚悟である」と今の私たちに語りかけます。
