江戸時代の治安の良さは、「制裁」ではなく「文化」に支えられていました。
人と人との関係性の中で責任を共有し、恥を知る──その「関係責任」の精神こそが、日本社会の安心と秩序の基礎だったのです。
🔹1. 治安とは、制裁によって守られるものなのか?
6月17日は、明治7年に日本で「巡査制度」が施行され、いわゆる近代警察制度がスタートした日です。
いわば「おまわりさんの日」でもありますが、私はこの日にあたって、次のような問いを皆さんと共有したいと思います。
「治安とは、制裁で守られるのか?それとも文化によって保たれるものなのか?」
これは単なる制度論ではなく、日本という国が築いてきた社会の本質──つまり、「安心して暮らせる国とは何か」を考えるうえでの、非常に重要な問題です。
🔹2. 江戸時代にあった“秩序を生む仕組み”
たとえば江戸時代、享保年間の20年間にわたり、江戸の小伝馬町の牢屋には一人の囚人も収監されなかったという記録があります。
家に鍵をかけずに眠ることができ、武士が刀を差していても斬り合いなどはほとんど起きない。
これは世界的に見ても、奇跡のような治安水準です。
こうした秩序を支えていたのが、地域共同体の文化でした。
🔹3. 長屋に見る“関係責任”という文化
江戸の長屋では、「向こう三軒両隣」が当たり前でした。
もし長屋の一軒で不始末があったとき、本人だけでなく、
向こう三軒両隣、場合によっては長屋全体にまで責任が及ぶことがありました。
たとえば──
・足抜けした女郎をかくまえば、本人のみならず長屋全体が取り潰し。
・無頼な若者を放置すれば、隣人や地主、果ては町内まで処罰の対象に。
・連続すれば、地主は島流し、悪質な場合には額に刺青が入れられることも。
これらは決して「過酷な制裁」ではありません。
それが共同体全体で秩序を保つ上での自然な仕組みだったのです。
🔹4. 「個人責任」ではなく「関係責任」こそが文化の核
西洋では、犯罪者は個人の意志と行為により罪を犯したとされ、その「応答責任(レスポンシビリティ)」を本人が負います。
一方、日本文化はそうではありません。
「なぜあの者が、あのような振る舞いをしたのか」
「その周囲に、そうさせる空気や放置がなかったか」
「見て見ぬふりをした者はいなかったか」
という視点が働きます。
つまり、「人と人の関係性において生まれる関係責任」こそが、日本の秩序をつくってきた根本だったのです。
🔹5. 明治以降に導入された“監視と制裁”の制度
ところが明治以降、日本はフランス式の警察制度を模倣しました。
その制度は、
「人は信頼できないものだ」
「だから常に監視され、罰される必要がある」
という前提に立っており、
・犯人の摘発
・刑罰の適用
・国家による中央集権的な管理
が、治安維持の柱とされました。
しかし、これは日本の伝統的な「人をつなげることで秩序を保つ文化」とは本質的に異なる考え方です。
🔹6. 欧米型の監視社会の限界
欧米社会では今なお──
・警官は銃を携帯し、必要に応じて発砲します
・街中は防犯カメラが監視し
・各家庭が自衛のために銃を持つ
このような制度は完璧に見えますが、それでもなお犯罪は止まりません。
なぜか?
それは、制度が人を信頼せず、関係性を切り捨ててしまったからです。
「個人責任」はあっても、「関係責任」が制度の中に存在しない。
そこに、社会の安心が根付かない理由があるのではないでしょうか。
🔹7. 文化の再起動──本当に必要なものは何か
私は今こそ、日本が持っていた「関係性を大切にする文化」を再び立ち上げるべきだと思います。
「私は悪くない」ではなく、「ご迷惑をおかけしました」
「法律上セーフ」ではなく、「申し訳が立たない」
このような日本的な感覚をもう一度、社会全体が取り戻す必要があります。
制度を強化しても、秩序は戻りません。
必要なことは──
・人と人がつながること
・関係の中で責任を共有すること
・筋を通し、恥を知り、助け合い、見守り合うこと
それこそが、本当に「人の心を律する文化の力」です。
🔹8. 日本が世界に示す知恵とは
制度は必要です。けれど、文化はもっと大切です。
日本はかつて、長屋の文化や五人組の制度を通して、人が人を見守る仕組みを社会の土台にしていました。
その仕組みは、ときに理不尽に感じられるかもしれませんが、
この仕組みこそが日本という国を安心して暮らせる場所にしてきたのです。
今、私たちが再び取り戻すべきもの──
それは、人を信じ、人をつなぎ、責任を分かち合う文化ではないでしょうか。
