沖縄戦で命を懸けて戦った兵士たちの真実、
石原大尉とバックナー中将の魂の交流、
そして歴史を封殺する現代の問題を語る。

■ 封殺される歴史の声──語るべき「慰霊の日」

6月23日は沖縄県条例で定められた『慰霊の日』。沖縄戦の終結とされるこの日、実際には司令官が自決した翌日も、兵士たちは命を賭して戦っていました。にもかかわらず、『6月22日が終結日』という表現が教科書にも残る。実際の戦いに命を投じた者たちの声は、歴史の陰に葬られてきました。特に、日本軍を正面から描いた記録は『不適切』とされ、幾度も削除対象となるという現実が、今なお続いています。

■ 特攻兵と米軍将官の魂──語り継ぐべき武士道

沖縄戦では1900機の特攻機が出撃しました。特攻兵たちは、軍用艦を狙い、非武装の輸送艦には決して攻撃しなかった。これは日本の武士道そのものです。米海軍のニミッツ提督は、特攻により1日1.5隻の艦を失い、5日以内に第一線を進めなければ更迭とまで述べた記録が残されています。実際に米軍公式記録では、軍艦34隻が沈没、368隻が重大な損傷を受けました。『特攻は無意味だった』という声に、米軍記録が真っ向から反論しているのです。

■ バックナーと石原──敵を越えた祈りの対話

米軍上陸司令官・バックナー中将は、前線視察中に砲撃を受け戦死。撃ったのは日本軍の石原正一郎大尉でした。石原氏はその後、生涯を通じて沖縄を訪れ、バックナーの慰霊を続けました。手紙を通じて遺族と交流し、『気にしていません、知らせてくれてありがとう』という返答が届きます。ここにあるのは、勝者と敗者を越えた、人と人の魂の対話です。戦場にあっても、誠と敬意があった──これこそが、語り継ぐべき“日本の戦争”のあり方ではないでしょうか。

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