930年、清涼殿に雷が落ちた事件から生まれた「雷記念日」。菅原道真の怨霊を恐れ、祀ることで昇華した日本文化の根本「怨霊信仰」を探ります。
🔹怨霊信仰とは何か──恐怖を祀る文化
延長8年(930年)、平安京の清涼殿に雷が落ち、大納言藤原清貫らが落雷死。
目撃した醍醐天皇も体調を崩され、間もなく崩御されました。
これを単なる自然災害ではなく「菅原道真の怨霊の祟り」と考えるようになったのが、「怨霊信仰」の原点です。
西洋では恐怖は「排除対象」ですが、
日本では「恐ろしい=畏れ多い=敬う対象」と捉える独特の文化が育まれました。
怨霊とは、個人の怒りではなく、社会が見過ごしてしまった“正しさ”や“誠の心”が形を変えて現れたもの。
その力を「祀る」ことで鎮め、共に生きる道を選ぶのが日本の智慧です。
🔹道真公と祀り──理不尽の叫びを神格化する
菅原道真は、遣唐使の廃止などを通じて国を守ろうとした政治家でしたが、藤原氏の利権を損ねたとして左遷され、太宰府で亡くなりました。
その後、都に異変が続き、「これは道真公の怨霊の仕業では」との声が上がるようになりました。
しかし道真公自身が怒っていたわけではなく、
「正しき者が報われない」という民衆の無念が、
彼を神格化し、北野天満宮の創建へとつながるのです。
この一連の流れは、まさに「怨霊信仰」が個人の怒りではなく、社会の不正義に対する“魂の代弁”として機能していたことを示しています。
🔹祀りの力──「敵」を仲間に変える超文化的行為
怨霊信仰の核心は「祀る」ことにあります。
災厄や疫病、さらには政治的理不尽ですら、排除せず、むしろ神として受け入れる。
祇園祭もその象徴で、疫病そのものを“御霊”としてお神輿で町を巡らせます。
これは単に宗教行為ではなく、社会的統合の手段であり、「和をもって貴しとなす」の実践です。
恐れを畏敬に変え、分断を包摂に変える──これが日本の知恵であり、八百万の神々が示す包容力の源です。
雷記念日を通して見えるのは、自然の力と人の心を結ぶ文化の深層。
怨霊信仰とは、理不尽に対する怒りを“祀り”によって昇華し、正しさを回復する日本独自の精神文明なのです。
