清朝崩壊から無政府状態、軍閥の抗争、蒋介石の台頭、西安事件を経て盧溝橋事件に至るまでの流れを整理し、日華事変の背景を歴史的に解説しました。
はじめに|「日華事変」の呼称とその背景
昭和12年に勃発した戦いを、日本では「日華事変」と呼びました。当時は「支那事変」という呼び方も一般的であり、「中国」という呼称すら近代になって生まれた概念にすぎません。明や清の時代に「中国人」という言葉は存在せず、国名は「明国」「清国」とされていました。「中国」という呼称は歴史的に古くからあったわけではなく、むしろ近代以降に政治的な意味合いを含めて定着していったものです。こうした言葉の背景を理解することが、日華事変を考える上でも重要です。
清朝の崩壊と中華民国の誕生
19世紀末から20世紀初頭、清王朝は欧米列強に次々と領土を奪われ、権力は紫禁城の内部に限られるほど弱体化していました。最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の時代には、皇帝の所有物は「自転車1台」と言われるほどに没落していたのです。
1911年、辛亥革命が勃発し、孫文を中心に翌1912年1月1日「中華民国」が成立します。しかし孫文は「孫大砲」とあだ名され、大きな理想を語るものの実際の武力を欠きました。そのため、軍閥を率いる袁世凱が実権を握り、わずか数年で「中華帝国」を称するに至ります。
ところが袁世凱の死後は一気に無政府状態となり、各地で軍閥が割拠、暴力が支配する社会になりました。民衆は自警団や自治政府を作って自衛しましたが、武器を持つ者が暴虐を振るうことが常態化し、治安は極度に悪化していったのです。
スペイン風邪と列強の撤退、日本軍の残留
1918年から1920年にかけて、スペイン風邪が世界的に大流行しました。当時の世界人口20億のうち5億人が感染し、1億人が死亡したとされます。その発生源は武漢であったとも言われています。欧米列強は感染拡大を恐れて駐屯軍を引き揚げましたが、日本軍は清潔な生活習慣のおかげで被害をほとんど受けず、唯一現地に残留して治安維持を担いました。このことが、日本軍に対する現地住民の信頼を高め、後の歴史においても重要な意味を持つことになりました。
蒋介石の台頭
列強が撤退した後、蒋介石は「共産主義者を討伐する」と掲げ、欧米から武器や資金の援助を受けて国民革命軍を率い、急速に勢力を伸ばしました。彼は「共産党員を多く処刑すればするほど外国からの支援が増える」という仕組みを利用し、徹底した弾圧を展開したのです。
西安事件と国共合作
一方で、共産党は毛沢東を中心に追い詰められていました。蒋介石は徹底的に潰そうとしますが、張学良の仲介によって「西安事件」が発生し、国民党と共産党は一時的に手を結びます。その理由は単純で、共産党が滅びれば蒋介石が欧米列強からの支援を得られなくなるからでした。こうして新たな「敵」として日本を位置づけ、日本を侵略者として攻撃する構図がつくられていったのです。つまり、抗日戦線なるものは本質的に、一部の勢力の経済的利益のために仕組まれたものにすぎませんでした。
盧溝橋事件と日華事変の勃発
1937年7月7日、盧溝橋事件が仕組まれ、日華事変が勃発します。国民党と共産党が手を組み、日本を「共通の敵」として戦いを拡大させていったのです。日本は多くの地域で治安を維持し、現地住民からも一定の信頼を得ていました。だからこそ、欧米列強にとって「誠実に振る舞う日本の存在」は不都合であり、日本は逆に「侵略者」というレッテルを貼られ、国際社会で敵視される立場に追い込まれていきました。
おわりに
日華事変は単なる日中間の戦争ではなく、清朝崩壊からの無政府状態、欧米列強の思惑、蒋介石と毛沢東の権力闘争、そして国際的な宣伝戦が複雑に絡み合った結果として生まれました。この歴史を理解することで、現代中国がなぜ反日的な姿勢をとるのか、その根源が浮かび上がります。
さらに、当時「清潔さ」と「秩序」を重んじた日本人の姿勢が、どれほど現地の人々に信頼を与えたかを知ることは、今を生きる私たちにとっても重要な学びです。現代の報道や教育に利用される歴史観の多くは、この時期につくられた構造の延長にあります。歴史の真実を見極めることは、今日の国際情勢を理解する上で欠かせないのです。
【所感】
歴史を語るとき、勝った負けたにこだわって「正義と悪」を分けてしまうと、本質を見失いがちです。私が心がけているのは、ただ「事実」を視ることです。今回の流れを追っていくと、日華事変は単なる侵略と被侵略の図式ではなく、清朝崩壊からの混乱、欧米列強の思惑、そして蒋介石や毛沢東の利害といった要因が複雑に絡み合った結果だったことが見えてきます。
歴史を「勝者が作った物語」としてではなく、人々の暮らしや利害の積み重ねとして見ると、今の反日感情の根源も浮かび上がります。そして、当時「清潔さ」と「秩序」を重んじた日本人の姿勢が現地の人々の信頼を得ていたことは、現代に生きる私たちにも大切な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
歴史を正しく見つめ直すことこそ、未来をより良く築くための第一歩であると、私は思います。
