「ひふみ→みよいず→みろく」と移る時代観を軸に、10月以降の社会変化を読み解いた対談。獣か臣民か――心の選択が未来を決める。原点回帰と教育の再構築を実践提案。
Ⅰ 2025年10月――「転換点」をどう受け止めるか
2025年10月は、単なる出来事の有無を占う月ではなく、社会システムの位相が切り替わる節目として受け止めたいと思います。
世界では政治・安全保障・情報空間のうねりが続き、国内では報道量に比して熱量が伴わない空気が漂います。
政局の話題は賑やかでも、肝心の「日本は何を目指すのか」という物語が語られにくい現状です。
こうしたときに確かめるべきは、制度だけではなく一人ひとりの意識です。
意識が変われば、家庭が変わり、職場が変わり、地域が変わります。
10月4日京都開催のイベント「日本のターニングポイント」は、そのための実践と共鳴の場として位置づけています。
文化の中心地・京都で、神道の原点に学びながら、参加者とともに未来像を合意形成していく試みです。
告知に留まらず、学びを楽しくの合言葉で、目の前の行為を変えるところから始めます。
【お知らせ】
● 10月4日(土) 京都・烏丸「日本のターニングポイント」トークイベント
ちょうど総裁選の節目。終演頃には新体制が見えるはずです。サイン会・書籍販売あり。
https://info.hokkyoku-ryu.com/6506/
Ⅱ 日月神示『五六七』の読み解き――「ひふみ→みよいず→みろく」の連続
対談の核は、ひふみ(太陽・月・地球の調和)→みよいず(文明の構築・完成)→みろく(次段階への移行)という時代観です。
江戸期までの太陰太陽暦に象徴される多神的世界観(ひふみ)から、明治以降の制度・技術加速期(みよいず)へ。
そしてAIの普及に代表される“文明の頂点感”を経て、
価値基準が量から質へ、
所有から関係へ
競争から共生へ
遷移する段を「みろく」と読み解きます。
『五六七』は一義的な年号当てではなく、心の選択を促す合図として受け取ります。
感染症の記憶や令和5・6・7年、あるいは2025–2027年の三年連続といった複合的象徴が重なり合いますが、重要なのは符号合わせではありません。
本文にある、
「獣と臣民がはっきり分かれる」
は、誰かを断罪するためのレッテルではなく、自分がどちらの生き方を選ぶかという内なる問いです。
獣性とは、短期の欲や怒りに支配され、相手を責め立てる姿勢。
臣民性とは、見えないものへの畏れと感謝を土台に、己を調え、社会に益を還元する姿勢です。
批判で終わる言説は獣性へ傾きやすく、そこから一歩進んで第三の選択を拓くことが鍵になります。
日本神話のエピソードや近現代史の転換点は、その作法を学ぶ良い手引きとなります。
Ⅲ 「異常監視」の三ヶ月――争いを越える作法と教育の再構築
暦の上で10〜12月は「異常監視」に当たる並びが続きます。
ここでいう“異常”は不吉の断定ではなく、既存の枠が外れやすく物事が大きく動きやすいという意味合いです。
火(勢い)と犬(衝突)の象意が重なる10月は、声が荒れやすく、議論が枝葉末節に逸れがちです。
ゆえに次の三点を徹底します。
1.枝葉の批判合戦に巻き込まれないこと。
2.論点を「誰が悪い」から「どう良くするか」に戻すこと。
3.すぐに怒りの回路へ入らず、第三の選択を設計すること。
この作法は、神道の物語や終戦の詔勅にも通底します。
対立をエスカレートさせず、耐え、調え、次へ進める。
土下座でも迎合でもなく、誇りと礼を保ちながら合意を積み上げる姿勢が、戦後復興を可能にしました。
長期停滞の中でも社会が崩れなかった背景には、見えない基準(礼・和・務め)が息づいていた事実があります。
現代も制度改革だけでは足りません。
作る人・教える人・使う人の民度が問われています。
これからは教育の時代です。
教育といっても制度論に閉じず、心を調える稽古としての学びを生活に戻すことが大切です。
料理ひとつにも心が宿るように、技は心を運ぶ器になります。
対談の結びでは、「学びを楽しく」を合言葉に、会場での共鳴そのものを“みろく”のプロトタイプとして実装していくことを確認しました。
10月からの数ヶ月は、その試運転の期間です。
異常を恐れず、古い皮を脱ぐ合図として受け取り、目の前の関係を丁寧に整えます。
合言葉は、ありがとう日本。
先人への感謝を胸に、今の務めを果たす。
その連続の先に、五六七=みろくの世の現実化があります。
【所感】
今回の対談を通じて強く感じたのは、2025年10月という節目が、単なる出来事の予言ではなく、
「心の選択を迫られる時代の合図」であるということです。
正義を唱えるだけでも、力に頼るだけでも未来は開けません。
必要なのは、力を備えながらも、それを共震共鳴の方向へ転じ、第三の選択を創り出す智慧です。
日月神示の「五六七(みろく)」は、外的な災厄の象徴ではなく、新しい文明へと歩を進めるための呼びかけとして響きます。
異常を恐れるのではなく、むしろ古い殻を脱ぐ合図として受けとめる。
怒りや批判にとらわれず、学びを楽しく重ね合う。
その積み重ねが「ありがとう日本」の物語を次世代へと手渡していく力になると信じています。



