百人一首の三十九番、参議等の一首は、恋の歌とされてきました。けれど、官職名で記された歌は本来「職務の歌」。参議として、なぜ耐え、なぜ折れず、なぜ歩み続けるのか──その答えが「人の恋しき」にあります。古典の奥に隠された“民を思う心”を、現代に照らしながら読み解きます。
百人一首三十九番、参議等(さんぎ・ひとし)の歌。
私はこの歌が、ずっと好きです。
一般には「恋の歌」と説明されますが、この一首は、詠み人の立場と百人一首という作品全体の構造をふまえると、まったく別の意味をもつ歌になります。
日本の和歌は「察する文化」です。
わずか三十一文字の中に、詠み手の想いが凝縮されています。
そして百人一首は、藤原定家が百の和歌をただ選んだのではなく、百首を順番まで含めて “ひとつの叙情詩として「編んだ」作品です。
もちろん、並び順にも藤原定家の意図があります。
参議等の歌は、前半に置かれています。
これは、日本がまさに成熟し、平和で豊かな時代を築こうとしていた頃の「息吹」を乗せた位置です。
■ 名前に隠れた意味
歌人名「参議等」。
「参議」は役職名で、「等(ひとし)」が名。
本名は源等(みなもとのひとし)、嵯峨天皇の曾孫です。
官職名で紹介されるということは、
この歌は「職務」に関する歌 と読むべきなのです。
■ 上の句の風景──折れない草の姿
浅茅生(あさじふ)の 小野の篠原 忍ぶれど…
浅く生える茅(ススキ)。
笹が群生する原。
ススキも笹も、強風にしなっても折れない植物です。
だからこそ源氏は笹を家紋にしました。
「どれほど逆風が吹いても折れない」という誓いです。
参議等は、その植物の姿を自らに重ねています。
どれだけ耐え忍んでも折れない──。
■ 下の句の核心
あまりてなどか人の恋しき
一体どうしてここまで耐えるのか。
それほどまでに人が恋しいからだ。
ここでいう「人」とは、恋しい女性ではありません。
参議の心にあるのは 民(おほみたから) です。
参議は国政を決める令外の官。
決断すれば必ず既得権と衝突し、恨み、ねたみ、そねみに遭う。
それでも正しい道を通さねばならない役目です。
その重圧に折れず、耐え、進む理由──。
それは、
「人が恋しいから」
すなわち、民を思う気持ちがあまりにも強いから。
これが、この歌の真意です。
■ 言葉が秩序をつくる
この文章の途中で触れた、
日本語の乱れ。
呼称の乱れ。
上下関係の混乱。
これらは、単なるマナーの問題ではありません。
日本文化は、
最も年少の者に視線を合わせて呼称が決まる国。
これは弱い者・小さき者を守る文化です。
言葉は秩序を生み、秩序が社会を支えます。
支配のためではなく、
みんなの安全と安心のための秩序です。
■ 男の愛、女の愛
わが国には古来、
女性の愛=無償の全身全霊
男性の愛=責任(つとめ)を果たすこと
という価値観があります。
高官であれば、妻子だけでなく、
知行地の民全てを守る責任が伴います。
その覚悟と愛が、この歌には宿っています。
■ 結び
世界は対立と闘争で動いています。
しかし日本は本来、
話し合い、和し、異なるものを結ぶ文明です。
だから、何事かを成そうとすれば、反対者や中傷者は必ず現れます。
それらと共存しながら、それでも前へ進むしかありません。
では、どうして進むのか。
参議等は、千年以上前に答えを残しました。
「あまりてなどか人の恋しき」
──民が恋しいからだ。
その一点のために、私は折れずに立ち続ける。
この歌は、今を生きる私たちにも
まっすぐ響いてくる言葉です。
【所感】
古典を読むと、いつも思うのです。
日本の先人たちは、権力を誇るのではなく、
「民を思う心」を誇りとして生きてきたのだと。
参議等の歌にこめられた真情は、
和を尊び、責任をもって人々を包もうとする、
日本の文明の根にある“やさしい強さ”そのものです。
私自身もまた、その道を歩み続けたいと思います。
※この記事は令和元年10月のねずブロ記事のリニューアルです。


