今日は広安門事件があった日
日本は、どこまでもチャイナの平和と安定を願いました。だからこそ、ここにきてなお、事件の不拡大方針を採りました。いまにして思えば、それが果たして良いことであったのかは、はなはだ疑問でした。
今日は廊坊事件があった日
廊坊駅の100名は、なんと明け方まで6000人もの国民党の大軍を相手に果敢に戦い、もちこたえました。どんな戦いだったのか想像してみてください。昼間、きつい行軍をして、やっと深夜、廊坊駅にたどり着いたのです。そこで汗水流して通信施設の修繕をしていたら、いきなり銃撃を受け、応戦したら戦争になるからと、ひたすらガマンして応射しないでいたら、今度は迫撃砲を撃ち込まれ、やむなく応戦を開始したけれど、友軍の到着には、4〜5時間を要し、その間、ただひたすら、防戦をし続けたのです。どれだけの苦労だったか。
第111回 倭塾 開催のお知らせ(再掲)
7月の倭塾のテーマは、「縄文から紐解く日本文明の根幹」です。
猛暑の中ですが、是非、お越しください。
終了後には、懇親会を開催します。懇親会は事前申込が必要です。
苦労が育てた和泉式部
百人一首に登場する百人の歌人のなかで「誰か一人好きな歌人は?」と聞かれたら、迷わずいの一番にお答えするのが和泉式部(いずみしきぶ)です。たぶん、同じ思いを持つ方は多いと思います。そしておそらく古今の歴史上、最高の歌人といえば、和泉式部を置いて他にない。そして、その和泉式部が、なぜそれほどまでの和歌を詠むことができるようになったのかといえば、もちろん才能もあったでしょうけれど、それ以上に彼女が本当に苦労したから。親も教育も人を育てるものですが、本当に人が育つのは、その人にとっての苦労です。そして苦労を、ストレスとするのではなく、試練とすることで、人が苦労を乗り越えて成長の糧(かて)にしてきたのが日本の文化です。さらにいうと、そんな苦労を乗り越えた先に、さらにすべてを捨て去る。何もかも失った先に、本当にたいせつなことに人は出会うことができると、そのように考えられてきたのです。ここに、古くて長い歴史を持ち、ひとりひとりを大切にしてきた日本文化の根幹があります。
グアムの戦いとラッテ・ストーン
写真はグアムのラッテ・ストーン (Latte stone) と呼ばれる石柱群です。残念なことに、9世紀から17世紀にかけて作られた古代チャモロ文化の遺跡らしいという以外、いまでは何に使われたのか、どのように使われたのかなどがまったくわからなくなっています。このラッテ・ストーン、現地の人たちはこの石群に、「タオタオモナ」と呼ばれる霊が宿っていると信じているのだそうです。
清国の恫喝と長崎事件から日清戦争までの流れから現代日本を考える
明治19年の長崎事件から、明治28年の日清戦争講和までのおよそ9年の歴史をまとめてみました。ご一読いただければ、今も昔も何も変わっていない・・・どころか、まったく同じ構図になっていることがおわかりいただけると思います。