「グレートリセット」という言葉が、一方では“管理・選別・統治”を強化する合図として、もう一方では“心の刷新と相互依存”をめざす合言葉として使われています。混線のままでは誤解が広がるばかり。ここでは両者を丁寧に切り分け、共依存から抜け出して、自立した共同体がつながる“日本型グレートリセット”の構想を具体例とともに示しました。縄文に学び、現代の技術と知恵で再設計する青写真です。

Ⅰ.二つの「グレートリセット」— 支配型か、共鳴型か

「グレートリセット」は同じ語でも目指す世界像がまったく違います。
前者は、国家やメディアをも巻き込む巨大資本・統治層の論理により、世界を少数の頂点と多数の管理対象に分ける発想です。
極端な人口縮減や、生殖・生活・移動・情報の徹底管理が正当化されれば、社会は“ピラミッド型ディストピア”へと傾きます。
善悪二元論を土台に「支配に従う者=善」「逆らう者=悪」という単線的な規範が優先され、個の尊厳と多様性は削がれていきます。

これに対して、日本で語られるもう一つの「グレートリセット」があります。
こちらは、文明の軸を“心の刷新”に置き直す構想です。
縄文に学ぶのは、権力の集中ではなく、生活の自立を前提にした穏やかなネットワーク。
各人・各共同体が自立しつつ、必要に応じてつながる「相互依存」こそが基盤です。
ここでは、対立の増幅装置である善悪二元論を超え、共鳴を通じて合意を紡ぐ力が重視されます。
支配か共鳴か――同じ言葉が指す先は、まさに正反対です。

Ⅱ.共依存から相互依存へ— 家庭・国家・仕事で機能する設計図

文明の再設計は、身近な関係の見直しから始まります。
心理分野で広まった「共依存」は、相手抜きでは自分を保てない関係性。

例えば、問題を抱えた家族に生活の主導権を握られたり、会社・上司・顧客に条件を飲まされ続けたり、国家間では食料や資源を“止められると立ち行かない”構造に陥ったりします。
鍵を握る側が一方的に条件を押しつけ、もう一方は「嫌でも従うしかない」。こ
れが不健全さの根です。

対して「相互依存」は、自立を土台にした協働です。
スティーブン・コヴィーが説くように、依存→自立→相互依存は成長の階段。
生活・食・エネルギー・収入の複線化や備蓄は、個と家庭の自立を底上げします。
 ベランダ菜園や共同畑、
 地域のフードネットワーク、
 一次・二次的な収入源、
 5〜10年の視野を持った備え
こうした小さな実践が、“止められても倒れない”態勢をつくります。

国家レベルでも同じです。
食料主権の回復、種や土づくりの技術継承、地域分散型の発電・蓄電、水素や合成燃料、地熱や小水力など、立地と技術の組み合わせで自立度を高める。
石油や特定のラインに過度依存しない“複数解”が、交渉の選択肢を増やし、共依存の鎖を外します。

重要なのは、「自立=孤立」ではないこと。
必要な場面で資源・技術・文化を融通し合えば、全体のレジリエンスはむしろ増します。
支える・支えられるが固定されない可逆的な関係性——それが相互依存です。

Ⅲ.縄文に学ぶネットワーク国家— 自立した点を結び直す

日本型グレートリセットのヒントは、縄文社会にあります。
各集落は採集・栽培・漁撈・保存の技を備え、基本的に“村だけで暮らせる”自立性を持っていました。
そのうえで、遠い土地との交易や婚姻を通じて、多様性と交流を保っていたのです。
この姿は、現代で言えば「ブロックチェーン」です。
中央の巨大サーバー(=権力)に全てを預けず、複数のノード(=地域・共同体)が合意のもとに情報と価値を検証・交換する仕組みです。
1ノードが止まっても全体は止まらない。まさに“止められても倒れない”構造です。

暮らしの側面でも示唆は多い。
男女の役割は固定ではなく、村ごとに多様。
漁の成果を鍋に移すと栄養も味も豊かになるように、個の得意が共同体で活かされると生活は厚みを増す。集落間の婚姻は、遺伝的多様性の確保だけでなく、文化と信頼の橋を架ける効果を持ちました。

ここに「和を以て貴しとなす」の原点があります。
断罪と報復の増幅装置である二元論にハマらず、衝突が生まれても“水に流し”、関係を再構築する知恵。
現代のコミュニティ運営・衝突解決・地域経済にも、そのまま応用できます。

結論として、日本型グレートリセットは“中央の号令で一気に変える計画”ではありません。
点(個・家族・地域)がそれぞれ自立を高め、面として緩やかに結び直すプロセスです。
食とエネルギーの地産地消、地域金融と互助、教育と技能の循環、災害対応の相互援助——一つずつ積み上げれば、支配構造に頼らない「共鳴の経済圏」は現実になります。

結語

文明を“リセット”するなら、まずは自分と足元の共同体から。
共依存をほどき、自立を底上げし、必要なときに響き合う。
縄文に学ぶ日本型の青写真は、恐怖で従わせる世界とは逆方向に伸びています。
合図はもう鳴っています。
小さな自立、小さな交換、小さな共鳴から、丁寧に始めることができるのです。

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