米中・中東の緊張が高まる中、日本は何を選び、どう生きるのか。
日露戦争の知恵、惟神道の精神、日本独自の責任観と「白す国」の思想から、日本人としての在り方を掘り下げます。
◉ 世界の混迷と“国家の選択”
世界はいま、米中対立と中東の混乱という二つの大きな不安定要因に直面しています。
特に台湾海峡や南シナ海での軍事的緊張、イスラエル・パレスチナ紛争、イラン情勢など、宗教・資源・民族が複雑に絡み合い、国際秩序の再構築が進行中です。
こうした状況下で、日本が問われているのは、他国に“つく”ことではなく、
「我が国は何を大切にするのか」という根源的な問いです。
明治維新や日露戦争、そして戦後の復興など、歴史を振り返れば、日本は外圧に流されず、自らの軸を持って立ち続けてきました。
◉ 歴史が示す日本の知恵
日露戦争の勝利は単なる軍事力ではなく、同盟関係の構築と徹底した情報戦の成果でした。
また、戦後の復興も、単にアメリカに「支配」されたのではなく、庇護を受けながらも、日本の精神性を守り抜く努力があってこそ成し遂げられたものです。
そして日本の伝統文化が大切にしてきたものは、「和をもって貴しとなす」という調和と共生の精神です。
この「共生」とは単なる共存ではなく、お互いを活かし合うという高度な人間関係を意味します。
古事記の「国譲り神話」や聖徳太子の十七条憲法は、武力ではなく話し合いと調和による統治の姿勢を伝えています。
◉ 責任観と「シラス国」思想
日本の伝統的な責任観は、西洋の「レスポンスビリティ(行動への応答)」とは異なり、「関係性」に基づいた連帯責任です。
たとえば、吉田松陰の弟子である佐久間象山も責任を問われたように、行為者だけでなく、周囲との関係性に責任が生じるという考え方です。
これは天孫降臨神話にも表れており、「命令された本人」ではなく、その子が降臨するというように、関係の中で責任が受け継がれていくという思想が根底にあります。
また、日本は「支配」ではなく「シラス国」──
つまり、力で制圧するのではなく、真理と道理を知らしめ、民衆が自発的に調和ある生活を営む国を理想としています。
この思想は、いわゆる民主主義よりもさらに洗練された統治理念であり、民を最も大切にする真の国づくりといえるでしょう。
◉ 競争ではなく、人が主役の社会へ
現代の日本では、効率や競争が強調される一方で、本来大切にすべき「人間の尊厳」や「文化の根源」が失われつつあります。
数字で評価される時代においても、人にはそれぞれ良いところがあり、それを活かし合うことでこそ、社会は温かく豊かになります。
清水次郎長が雑用係を雇い入れたように、“役に立たない”とされる人にこそ役割を見出す心が、日本文化の本質なのです。
◉ 日本が進むべき道とは
結局、「国家の選択」とは、どこかの国に従うかではなく、一人ひとりの価値観と生き方の選択の集合体なのです。
競争が善とされた時代を経て、今こそ私たちは「何を大切にして生きるか」を見つめ直すときです。
それはすなわち、自分自身を大切にし、他者を思いやる「愛」の実践であり、
感謝の言葉、謝罪の言葉、日々の小さな行いの中に、日本人としての精神を育むことができます。
◉ 結論──文化と心で未来を創る
武力で未来を切り開く国ではなく、文化と心の力で未来を拓く──
それが日本の在り方であり、歴史が私たちに教えてくれる道です。
国家の選択とは、誰かが決めることではなく、私たち自身がどう生きるかという日々の選択の積み重ねです。
その選択の先にこそ、もっと美しく、もっと誇りある未来の日本があるのではないでしょうか。
