戸田・川口エリアで顕在化する外国人問題は、単なる治安課題にとどまりません。難民申請制度の悪用、違法就労の温床、土地買収の拡大、言論の場を圧迫する組織的妨害――。現場を走る河合ゆうすけ議員とともに、制度の穴と権力の鈍さを点検しつつ、日本が守るべき「自立」と「相互依存」のモデル、そして歴史に学ぶ同化と教化の知恵を具体的に提案します。
Ⅰ 現場の実相:難民申請の「魔法の言葉」と、法の外側で進む歪み
戸田・川口一帯では、この十数年で中国系店舗の集中や違法色の濃い業態が増え、西川口周辺は実質的にチャイナタウン化が進んでいます。
並行して、蕨駅周辺ではクルド系の流入が急増しています。
背景には、入国時に「難民」と名乗れば長期の審査中に合法滞在できてしまう現行運用があり、ブローカーのビジネスと結びついて実質的な不法移民の温床になっている現実があります。
現場では、解体業などで適正処理コストを回避する違法投棄・違法積載が横行し、上位の元締めはSNSで成功を誇示し、下で働く人々は低賃金・高リスクに追い込まれがちです。
環境汚染や土砂災害の誘発、危険運転など、地域の安全基盤を揺るがす事象も無視できません。
本来は行政・警察が淡々と取り締まるべきところですが、予算や権限運用、政治判断の遅滞が現場裁量を萎縮させ、制度の「抜け」を突く側が先に動く状況が続いています。
Ⅱ 言論空間の侵食:表現の自由と「聴く権利」への組織的妨害
移民・治安・制度改革を訴える街頭では、組織的妨害が常態化しています。
大量の拡声器や笛、強い光の照射など、暴行に至らない「ギリギリ」を狙う手口は、憲法21条が重く保障する政治的表現と、聴衆の「知る権利」を実質的に奪うものです。
見解が異なるなら、別の場・別の時間で対抗表現を行うのが筋であり、他者の表現機会そのものを潰すやり方は、民主主義の根幹を損ないます。
一方で、テレビや新聞が現場の実像と逆向きの「被害者—加害者」フレームで報じる場面もあります。
情報を握れば世論を動かせるという戦後の回路が、現実と報道の乖離を生みやすいからです。
ただ、若年層を中心にネット視聴が広がり、妨害を受ける側を「本気で取り組んでいる証」と捉える変化も見えます。
分断を煽る物語に流されず、一次情報と現場の証言を突き合わせる市民の眼が重要だと感じます。
Ⅲ 戦わずして侵食は進みます:土地・人口・制度からの「静かな侵略」
現代の侵略は、銃火器だけでは行われません。
土地の大量取得、人口集中による地域支配、言論と制度の掌握など、経済と人口のレバーで主権を空洞化させる手法が存在します。
日本では外国資本の不動産取得が国内と同条件で可能で、資金力のある勢力が要地を押さえるリスクがあります。
参政権の拡大や制度運用の緩さと結びつけば、地域の意思決定が外部から左右される危険も高まります。
これを防ぐために、
① 重要施設周辺を含む土地取得の安全保障的規制、
② 難民審査の厳格化・迅速化(悪用抑止と真の保護の両立)、
③ 違法業態の実効的摘発(罰則強化と体制拡充)、
④ 公共空間の表現ルール整備(相互の表現機会を守る運用)
などを並行して進める必要があります。
労働力の受け入れも、量の拡大ではなく、日本語・技能・順法意識・地域適応を踏まえた質的基準とトレーサビリティの確立が不可欠です。
Ⅳ 日本の答え:自立のうえの相互依存と、歴史に学ぶ「同化と教化」
受け入れに反対するための反対ではなく、国家としての設計思想を明確にすることが肝心です。
目指すべきは、依存の連鎖ではなく「自立のうえの相互依存」です。
各人と共同体が自立し、価値を交換して高め合う関係こそ、日本の強みと響き合います。
歴史は示しています。
仁徳朝の生産基盤整備は富と人の流入を招きましたが、外来勢力の乱れには厳正な統制を敷き、後に国史編纂や『万葉集』の共有によって民度と共同体意識を底上げしました。
平安初期には帰化人比率が高くても秩序と文化が成熟したのは、「日本人としての規範と矜持」を制度と教育で共有させたからです。
現代に置き換えるなら、
① 日本語・歴史・公共規範の体系的学習(支援と責務のセット化)、
② 地域コミュニティでの役割参加の仕組みづくり、
③ 違法・反社会行為の即時排除(馴れ合いを断つ運用)、
④ 教育現場からの自虐史観の是正
この四点は、必要な柱です。
受け入れるなら日本の秩序と文化の中で共に生きる条件を明示し、守れない場合は厳しく線を引く必要があります。
人権と秩序は二者択一ではありません。
守るべき「日本の型」を共有してこそ両立するものです。
Ⅴ 結語:恐れではなく、設計で応える
必要なのは恐怖の連鎖ではなく、制度設計と運用の更新です。
難民審査の実効性、土地規制の要否、取締り体制の強化、表現の自由の保全、教育の立て直し――いずれも手を打てる領域です。
現場で走る自治体議員の知見、市民の監視と参加、歴史からの学びを束ね、受け入れるべきを受け入れ、退けるべきを退ける。
日本らしい相互依存の社会を、もう一度しっかりと立ち上げていかなければなりません。
番組の締めに掲げた「ありがとう日本」は感傷ではありません。
ここに生きる責任と誇りを思い出す合言葉なのです。



