“命令される自分”から“望んで行動する自分”へ。やりたいことだけをして生きるには、心の分裂を統合し、自発的に生きる覚悟と対話が必要です。シラスとウシハクの精神からその方法を読み解きます。
◉ 「やらねばならぬ」から「したい」へ──心の統合という選択
今回の対談では、「やりたいことだけやって生きる」ための核心として、「命令」から「自発」への心の変換が語られました。
日々、私たちの心には「〜せねばならない」「〜してはならない」といった命令形の声が響きます。
しかしその声は、本当に自分の心からのものなのでしょうか?
それとも誰かの刷り込み、あるいは過去の習慣にすぎないのかもしれません。
たとえば「明日8時に出社しなければならない」という一見当たり前の行動も、深く掘り下げることで、「クビになりたくない」「子どもを養いたい」「将来独立する資金を貯めたい」など、主体的な望みにたどり着くことができます。
つまり「しなければならない」は、掘り下げていくと「したい」に変換できるのです。
これが心の統合の第一歩であり、「ウシハク的な支配」から、「シラス的な納得と共感」への転換です。
◉ 善悪の錯覚と心の分裂──ウシハク的支配の落とし穴
東郷先生は、善悪を「命令」として用いた場合に生まれる心の分裂についても深く解説されました。
善悪を絶対的な“属性”として捉えると、それは「神」や「法律」など外部から下される命令となり、自分自身の中に「命令する自分」と「命令される自分」が生まれます。
これはいわば、自分の中に「支配者と奴隷」が生まれる構図であり、心の分裂と抑圧を生み出します。
たとえば、「良いことをしなさい」「悪いことをしてはいけない」という当たり前の教えも、それを無自覚に受け入れることで、自分の選択の責任を放棄し、「誰かの命令だからやっている」状態に陥ってしまいます。
その状態では、どれだけ行動しても内面の納得が得られず、疲弊するばかり。
善悪による裁きではなく、まず「なぜ自分はそれをしたいのか?」という自問と対話が必要です。
◉ シラスの心を築く──すべての自分を尊重する生き方へ
シラスの心は、政治概念のみならず、自分の内面における統治の原理でもあります。
命令ではなく、対話と理解によって行動を決めていく。
そのためには、たとえば「疲れたから休みたい」という自分の声を軽視せず、ちゃんと話し合うことが大切。
「我慢して働け!」ではなく、
「ちゃんと休もうね。でも明日、大切な講演があるから、それが終わったら休もうね」と自分に語りかけていくこと。
こうした心の調和がとれた状態では、行動は持続的で力強く、苦痛が少なくなります。
心が統合されれば、「やらねばならぬ」ではなく、「やりたくてたまらない」状態で物事に取り組めるのです。
この心の在り方は、個人の精神的自由を回復させるのみならず、日本の再生の鍵でもあります。
なぜなら、日本という国そのものが、本来は「シラス国=シラスの国」だったからです。
