AIが進化し、バーチャル空間が現実と区別できなくなる未来。
それでも人間が人間であるために必要なのは、
伝統・慣習・お祭りといった“不合理の中の温もり”だと語ります。
技術が神になる時代と、人間の課題
AIは今、急速に進化しています。
文字入力だけでなく音声や映像で人と対話し、
やがては家にロボットが一台ずつ存在する時代がすぐそこまで来ています。
通信技術も5Gから6G、7G、8Gへと拡張され、AIは量子コンピュータに接続されて
「神のような知能」を持つ存在になるとも言われています。
IQ換算で200を超えるAIが現実化する――
それは人類史上、かつてない出来事です。
しかし、AIはあくまで「情報の最適化装置」にすぎません。
いくら学習を重ねても、“死を前提とする感情”や
“古来の慣習に宿る心”を理解することはできません。
人間は限られた命を持つからこそ、他者への思いや祈りが生まれる。
その点で、AIがいくら賢くなっても人間の本質には及ばないのです。
日本文化は、古くからこの「有限の命の尊さ」を軸にしてきました。
お祭りや年中行事、正座やお辞儀の作法、
「いただきます」と手を合わせる所作。
それらは合理性では説明できないけれど、
人と人をつなぎ、心を整えるために続けられてきたものです。
AIがいくら合理的でも、これだけは模倣できない。
人間が人間である理由は、この“不合理の中の美しさ”にあるのです。
伝統という「不合理」が、人を救う
お祭りはIQでは測れません。
天才でも、少し不器用な人でも、
誰もが同じように神輿を担ぎ、笑い合い、夜店で金魚すくいをします。
上下も貧富も関係なく、ただ一緒に楽しむ。
その瞬間に、「共に生きる喜び」があります。
この感覚は、AIの世界には存在しません。
お祭りを「非効率」と切り捨てる社会は、
やがて心を失っていきます。
合理性を超えた“無駄の中の豊かさ”を
どれだけ大切にできるか――
それがAI時代における人間性の試金石になるのです。
未来社会では、バーチャル空間が日常になるでしょう。
16K、32Kの全方位映像、コンタクトレンズ型のAR、
さらには触覚まで再現され、現実と仮想の境界が消えていきます。
しかし、そうした時代を生きる子供たちは、
同時に「バーチャルへの耐性」も身につけていく。
つまり、リアルと虚構を見分ける感性を鍛えているのかもしれません。
それでも、どんなに技術が進んでも、
“命は有限である”という事実だけは変わりません。
だからこそ、感謝・祈り・慣習という
「非合理の心」を守ることが、人間の尊厳を支えるのです。
漫画とゲームが示した「共存の未来」
ここで思い出すのが、手塚治虫の描いた未来像です。
『鉄腕アトム』も『火の鳥』も、
AIによる支配ではなく、“AIと人間の共存”を描いていました。
そこには「命あるものすべてが響き合う世界」がありました。
子どもの頃、漫画ばかり読んで叱られた世代が、
今まさにAIと共に未来をつくる立場になっています。
もしかしたら、あの漫画たちは神々からの“予告編”だったのかもしれません。
ゲームの世界もまた、バーチャル空間への耐性を育てる場です。
マリオやゼルダで遊びながら、子どもたちは
これからやってくる「仮想と現実の違いを見抜く力」を自然に学んでいるのです。
そう考えると、漫画もゲームも決して“遊び”ではありません。
それは、時代が人類に託した「未来へのレッスン」です。
だからこそ、技術の進化とともに、
日本の伝統や文化を守り続けることが欠かせません。
神社、仏閣、田畑、自然、お祭り。
それらは、人が“心を壊さずに生きる”ための文化的防波堤です。
AI社会が進むほど、
この“不合理な文化”の存在が人類を救う。
合理性と感性、ハイテクとハイタッチ。
この両者が響き合うところに、新しい文明の光が生まれます。
未来を悲観する必要はありません。
手塚治虫が描いたように、AIと人間はきっと共に歩ける。
その道を照らすのが、古来の日本人が守り抜いてきた「心」なのです。
【所感】
AIの進化は、技術を神の領域にまで近づけます。
けれど、人を人たらしめているのは、技術でも数値でも効率でもありません。
それは、誰かを想い、共に笑い、命のはかなさを抱きしめる「人の心」です。
お祭りや慣習、手を合わせる所作、季節を祝う行事など、
一見、非合理に見えるそのすべてが、人間らしさを守っています。
そしてそれらは、AI時代においても決して失ってはならない「魂の技術」です。
未来の文明は、ハイテクノロジーとハイタッチヒューマニティの融合にあります。
効率の先に愛を、合理の裏に祈りを。
それが、人とAIが共に響き合い、生きていくための道です。
日本の伝統とは、まさにこの「共鳴の記憶」です。
その灯を絶やさぬようにしていくことが、
これからの時代を照らす最も確かな光になるのです。
そしてその光は、誰かが創るものではなく、
一人ひとりの手の中でともる小さな火です。
その火を携え、共に歩む道の先にこそ、
「人とAIが響き合う新しい文明」があります。
敵か味方かといった二元論ではない、
共震し、共鳴し、響き合う文明が、ここにあります。



