善悪で人を断罪する“錯覚”が、争いや戦争、いじめを生む原因です。
東郷潤氏と共に、思考停止を生み出す「善悪中毒」の構造と、それを超える道を深く掘り下げます。

◉ 善悪の錯覚がもたらす“思考停止”

本対談の冒頭では、「終わりなき争いを止めよう。世界は簡単に変えられる」という直球のテーマが提示されました。
人間社会が陥りがちな“善悪二元論”──「悪を許さず戦うことが正義だ」という価値観が、かえって争いを再生産し続ける構造になっていると指摘されます。
善悪で世界を切り分ける教育は、子供たちを「思考停止」へと追いやり、理由のない行動原理を植え付けます。
絵本『教育マシン』を通じて、善悪をロボットのように判断する便利さと、その裏にある“疑問を持つな、考えるな”という恐怖によるコントロール構造が明かされました。

◉ 条件反射としての「正しさ」──パブロフの犬的な社会

子供の頃から刷り込まれる「間違えると叱られる」「悪は裁かれる」といった恐怖ベースの教育は、まさに“パブロフの犬”のような条件反射を育てます。
何かが「悪」と名指しされるだけで、自動的に“攻撃すべき対象”として処理されるようになってしまうのです。
この現象は、社会全体の思考停止状態を生み出し、「戦うか、叩くか、沈黙するか」の三択しかない“心の癖”を人々に植えつけてしまいます。
SNS等で非難される経験を通じて、「正しいことを言っても攻撃される」現実を体験し、思考停止と向き合うことになったと語られます。

◉ 「悪」とラベルを貼るだけで成立する攻撃命令の恐怖

さらに議論は、誰かを「悪」とすることがもたらす“無制限攻撃命令”の危険性に及びます。
「日本は悪だ」というラベル貼りは、時と場所を問わず、日本に対する永続的・普遍的な攻撃命令と同義になり得ます。
これは指令者不明・実行者不明・終了条件不明という、きわめて無責任で恐ろしい命令形態です。
戦時中の反日プロパガンダ、戦後の国際政治、さらには教育現場やSNSに至るまで、我々は無意識のうちにこの構造に飲み込まれていると警鐘が鳴らされました。

◉ 日本人が持つ「個別具体」の文化こそ希望の鍵

では、どうすればこの“善悪中毒”から抜け出せるのでしょうか?
鍵となるのは、日本人が本来持っていた「個別具体的に話し合い、丁寧に理解する」という文化です。
例として、戦前の法文化や教育の中には「悪とされた行為」に対しても、その理由や背景を丁寧に考察しようとする姿勢が見られました。
また現代のアニメ文化──『鬼滅の刃』や『ワンピース』など──でも、敵キャラにも背景や心情があり、必ずしも“絶対悪”と描かれない傾向が広がっています。
これは日本社会が、再び本質的な「心の眼差し」を取り戻そうとしている証でもあります。

◉ 世界を変えるのは「気づき」──一人から始められる変革

対談の最後には、「善悪の錯覚」に気づくことだけで、世界は変わるという希望が語られました。
「戦わなければいけない」「正しいことだけをしなければならない」という思考は、結果的に人の感情を麻痺させ、心を殺してしまう。
しかし、ただ「相手も自分と同じ人間だ」と見直すことからすべてが始まるのです。
東郷氏は、「憑き物が落ちるように、誰もが気づきの瞬間を迎えることができる」とし、ネット時代の今だからこそ、一人ひとりが変化の種をまくことができると語ります。

🎌 まとめに──日本が担うべき使命とは?

戦後、「悪」のレッテルを貼られた日本は、だからこそ“善悪を超える文化”の体現者としての役割を持ちます。
十把一絡げに「悪」と決めつけるのではなく、具体的な話し合いによって理解と調和を築く姿勢。
それこそが、世界の争いを終わらせるために、日本が発信すべき新しい文明観であると、対談は力強く結ばれました。

Screenshot