【対談内容】
A:皆さんこんにちは。今回『私の中の陰陽師ー惟神(かんながら)の細道』という本をお出しになられた雑賀信朋先生をお招きしました。先生、よろしくお願いします。

B:よろしくお願いいたします。

A:まず簡単な自己紹介からいただけるとありがたく思います。

B:雑賀信朋、22歳です。紹介にあずかった通り『私の中の陰陽師ー惟神(かんながら)の細道』という本を出版させていただきました。中学生のとき交通事故に遭いまして、臨死体験に近いようなことをして、そこからいろいろ常人にはできないような体験をさせていただいております。そういう体験を通して、自分がすべきこと、自分がどのように日本という国や、周りの人に役立てるのかということを模索し、三重県にあります皇學館大学の方で神道を学ばせていただいて、現在に至っています。

A:ありがとうございます。雑賀先生が中学生のときに不思議な体験をされたということがあったんですけれども、詳しいお話は先生から伺っていただくとして、簡単にご紹介しますと、実は中学生のときに自転車に乗っていて、走行中に横から車に跳ねられて、7mぐらい飛ばされ、地上に頭から落下して頭蓋骨陥没となり、救急車で運ばれたのですが、ほとんど命も意識もない状態で救急病院に搬入され、大手術をしなければならないと病院の側で準備に入っていたちょうどその頃に、雑賀さんご自身の意識の中に平安時代の装束を着たおっちゃんが現れて、「ごめんごめん、君を死なせるわけにはいかないんだ、悪いけどもう一度生き返ってもらう」みたいな話になって、意識が戻った。
病院では、頭蓋骨陥没の重症で、手術をしても助かるか助からないかという状態で緊急手術に入ろうとしていたところ、手術室でいざ切開をしようとしたら、擦り傷ぐらいしかない。一体何が起こったんだろうかという話になったと、大体そんなところでよろしいでしょうか?

B:そうですね。平安時代の装束を着たおちゃんが出てきたっていうのは、その前にいろいろ体験というか、ありまして、何もないような空間に、ただひたすらに浮かんでいました。その体験から、自分の価値観というか、考え方が180度変わったというか、様々な物事の理(ことわり)を意識して見るようになりました。この体験を通して、全てがあることによって無が形成され、何もないけれど、そこに全てがあるということを感じていました。そういったところにさっきおっしゃった平安時代の装束を着たおちゃんが現れて、そういうことがあったので、そういう体験を通して、その後の人生がすごく変わったと感じています。

A:意識がない間、何もない空間にポーンと浮かんで、その何もない空間っていうのは、何もないけれど全てがある。全てがあるけど、全てがない。

B:「シュレーディンガーの猫」という有名な話がありますが、表現するならそれに近いかなって思います。どういうことかと申しますと、何もないっていうのは、例えば目の前にリンゴが置かれてたら、そこにはリンゴがあることが確定ししています。リンゴがそこにあるのだから、逆に言えば、そこにはリンゴ以外は存在していない。つまり「リンゴのみが存在していて、リンゴ以外は存在してない状態」ということになります。しかしリンゴがそこになけれが、そこにリンゴ以外も存在できます。すると、そこには全てが存在できることになります。
つまり何もない状態というのは、全てがある状態でもあります。それがちょうど生きてるのと死んでるのとが半々の状態だと思うのです。陰と陽のはざま要するに太極です。
太極は、いろいろな修行を受ける方とかが求められる極地の状態です。いろいろな修行がありますが、たとえば山に入っていく修行では、高い山に入っていくことで、自分が生きながらにして死に近づいていく状態っていうのを目指します。宗教系の修行には、そのような生きながら死に近づいていくという考え方のもと行われる修行がたくさんあります。
そうして死に近づいて、生きながら死に近づくことで、太極の状態に迫っていくわけです。そうすることで太極の状態を体感し、この世の陰と陽の理(ことわり)を、そのどちらでもないところから見る。そういうことが修行の極地といわれています。私の場合は、そんな太極の状態に、事故によって引き起こされてしまったわけです。
これによって、いろいろ物の見方や、不思議な力とか、そういったものが身についたのかなと思っています。

A:その世界に行っているときに、着物を着た平安装束を着たおっちゃんに出会い、そのおっちゃんが名を名乗られたのですね?

B:そのときは名前は名乗られなくて、後になってわかったんです。
そのあとにも1度出てきて、この本に書かせていただいたのは、そのあとの話になるのですが、その後にも何度か死にかけたのです。そのときにまた出てきて、「私はお前の前世である。名は安倍晴明である」と名乗っていらっしゃったのです。
霊能力者などにお会いする機会かなり多くあるのですが、私からは、自分が安倍晴明の生まれ変わりであるとか説明はしていないのです。何て言うか、私はいまは雑賀信朋として生きているのですから、安倍晴明の生まれ変わりとか、そうことを押し出す必要は全くないと思ってるんです。なのでわざわざあえて自分から名乗るようなことはしてないのですが、結構そういった力を持ってる方は、「あなた、前世、陰陽師だったでしょ」とか、「あなたは安倍晴明の生まれ変わりでしょ」みたいなことを、会った人の3割4割くらいの方がおっしゃいます。なので自分の中でもただの夢ではなく、実際にそうなのかなみたいな、そんな感じでございますね。

A:前世とか過去世とかいうものがあって、過去生を持つ魂が現世に生まれてくる。その過去世の自分が、現世の自分を事故に遭ったときに助けてくれたという、この関係についても、もう少し詳しく教えていただけますか?

B:事故に遭ったとき、助かるのは元々確定してたというか、その太極に行ったときに思ったのが、自分の体を動かすのは、「今から手を動かしますよ」と思って、そのパーツを動かす程度だと思います。歩こうって思って歩くようなものです。ところが太極の場所というか、そこに行ったときに感じたのは、自分の細胞の一つ一つまで動かす感触でした。細胞の一つ一つにまで意識が向いて、それを動かして組み替えるっていうぐらいまで、すごいあの感覚の精度が上がるのです。ですから助けていただいたというより、そこに行ったことによって自分の体の細胞のひとつひとつを、いわゆるそのゾーンに入って、超回復的な力で自分の身体を修復、ありえないような自己修復をして、「それだけの能力が身に付いたのであれば、君はもう少し世の中の役に立てるのだから、これからそういった方向で頑張りなさい」ということで出てこさせていただいたんじゃないかなというふうに自分は思ってます。

A:実際に中学のときの事故では、頭からコンクリートに激突したわけですよね。

B:はい。

A:そのときの傷とかは全くないのですか?

B:そのときの傷が今見えるかな、ここここにちょっとあります。ここぐらいですかね。本当にそんなものなんです。でも救急隊の方も医者も、プロですから、そんな大きな怪我と、こんな小さな傷の見分けくらいは当然付いたでしょうし、見間違えるわけがないだろうみたいに思います。
でも担当してくださった脳外科の先生曰く、「医療の道を何年もやってると、少なからずこういう事例はある」のだそうです。病気や怪我がありえない治り方をしたとか、現代医療をもってしても、まだ人の体の謎というのは全然解明できてないというか。まだまだ深堀りできるところがあるのではないかというように思いますね。

A:昔の武士が修行をして一定の域に達すると、深い刀傷を「エイッ」って言うだけで血を止めたり、治したりできたという話が、結構伝えられています。小さな傷の出血くらいなら、ガマの油売りが実演して見せたりもしていました。ちょっと前までの日本では、そんなことが当たり前のようにあったのです。
ということで今回は第1回ということで、雑賀先生との対談は3回のシリーズでやっていこうと思うんですが、今回は第1回ということで、雑賀先生がどのような方であるのか、どのような経験をされてきた方なのかということを、伺わせていただきました。

次回はそういう雑煮まで行かれてさ非常に神秘体験みたいなものをされた雑賀先生から見て、神様って何なんだろうか、あるいは日本人って何なんだろうかといったようなところを、掘り下げてお伺がいしてみようと思います。
先生、今回はありがとうございました。

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