戦争を「悪」と決めつけるだけでは、その背景や原因を見失います。正義と悪の相対性、歴史の流れの中で何が大切かを問い直し、今を生きるための知恵を探ります。

戦争は本当に「悪」なのか?──単純化への疑問

「戦争は悪」と教わるのが当たり前の現代。しかし、それならなぜ戦争はなくならないのか。戦争は必ず「正義」と「大義」の名のもとに行われます。アメリカは自由と民主主義を掲げ、日本はアジア解放と人種平等を訴え、旧ソ連はファシズムへの対抗と労働者の幸福を目指すとしてきました。
しかし、「正義」は国や立場によって変わる相対的な概念です。ある行為が一方では「悪」とされても、別の文脈では「正義」とされることがあります。たとえば人を殺すことは悪ですが、戦場では「戦果」として称賛される。この相対性を理解せずに「戦争=悪」と断定すれば、背景や真実が見えなくなってしまいます。

道徳と戦争の矛盾──善悪の判断基準を問う

戦争は道徳と真っ向から矛盾します。「殺してはいけない」「嘘をついてはいけない」と教わる一方で、戦争では「殺す」「騙す」が勝利の条件とされるのです。では、道徳が通じない世界で人は何を支えに生きるべきなのでしょうか。
歴史は、単なる善悪の二元論では語れません。楠木正成のように、当時は「国賊」とされた人物が、後世には「英雄」とされることもあります。評価は時代と共に変わるのです。重要なのは、自分が信じる正しさに命を懸ける姿勢であり、それが人々の心に強く響くことです。

歴史から学ぶ視点──より良い未来を築くために

戦争の是非を論じるだけでなく、「なぜ戦争が起こったのか」「どうすれば回避できたのか」を考えることが大切です。たとえば第一次世界大戦後、日本が国際連盟で「人種平等」を提案したことは世界の有色人種に歓迎されましたが、同時に欧米列強の利権に挑むこととなり、後の大戦への対立構造を生む一因ともなりました。
それでも、日本は最小限の犠牲で戦後の平和を実現しました。この80年間、我々は徴兵や戦場を経験せずに済んでいるのです。
歴史を善悪で単純化するのではなく、今をどう生きるか、未来に何を残すかを考えることが重要です。戦争を悪と決めつける前に、「平和とは何か」「正義とは誰のためか」を問い、過去の経験から未来の知恵を引き出す。それこそが人間に与えられた使命ではないでしょうか。

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