コロナ禍では専門家の言葉が根拠なく広まり、異論は排除されました。いま必要なのは情報を仮説と捉え、多面的に考える姿勢です。恐怖に流されず、真実に迫る努力が求められています。

コロナが示した「ポスト真実」の現実

コロナ禍を振り返ると、多くの人々が情報に翻弄され、何を信じるべきかが分からなくなりました。
専門家の発言が「科学的根拠が曖昧なまま」広まり、PCR検査やマスク、ワクチン、外出制限といった施策が一方的に流布されました。
異論を唱える声はメディアやSNSで封じられ、デマ扱いされることも珍しくありませんでした。

この状況は、事実そのものではなく「正しいとされる物語が人々を支配する時代」の到来を示していました。
いわゆる「ポスト真実」です。
真実よりも感情やイメージ、受けの良いストーリーが優先され、事実が二の次にされる。
結果として、社会は分裂や対立を煽る情報の方が拡散されやすい構造になってしまいました。

情報は仮説として捉える

このような時代に必要なことは、情報を「正しい」と鵜呑みにするのではなく、まず「仮説」として受け止める姿勢です。
SNSやYouTube、新聞など多様な媒体は、事実を伝えるだけでなく、人々の感情を刺激し分断を広げる側面も持っています。
だからこそ、一方的な情報に依存するのではなく、異なる立場の意見も含め、多面的に検証することが求められます。

また、日本文化に根付く「察する」という力も大切です。
情報を一方向的に信じるのではなく、全体の流れを読み取り、自分の頭で再構成して考える力が必要です。

単に情報を追いかけるだけでは、次から次へと変わる話題に振り回され、中身が空っぽになってしまいます。
むしろ、自分が「今日できること」に集中し、そこから関連する情報を掘り下げていくことが、真実に近づく道となります。

真実に近づくために

人間には「関心の輪」「影響の輪」「無関心の外側」という三つの領域があります。
大半の情報は関心はあっても影響を及ぼせない領域に属します。
だからこそ、自分の手が届く範囲に集中し、影響できる事柄について深く学び、考え続けることが重要です。

ポスト真実の時代においては、分断を煽る言葉よりも、笑顔や誠実な対話の積み重ねが社会を変える力になります。
自ら笑顔を選び、人との関わりの中で小さな輪を広げていくことが、真実に近づき、豊かで安心できる社会を築く第一歩になります。

コロナ禍は「国や専門家の言葉さえも嘘でありうる」という現実を突きつけました。
だからこそ今後は、情報に流されるのではなく、自らの歴史的・文化的な軸を持ち、何を聞き、どう考えるかを主体的に選ぶ姿勢が不可欠です。
恐怖や物語ではなく、真実を見極めようとする努力こそが、これからの時代に必要な力なのです。

【所感】

コロナ禍の経験は、私たち一人ひとりが「自分の頭で考えること」の大切さを改めて教えてくれました。
便利さや権威の言葉に流されてしまえば、知らないうちに誰かが作った物語に支配されてしまいます。
しかし私たちは、自らの文化や歴史に根ざしながら、恐怖ではなく響き合いを選ぶことができます。
小さな日常の選択──笑顔で挨拶すること、相手の話を最後まで聴くこと、違う考えを一度受け止めること。そうした積み重ねが、分断を超えた新しい文明の基盤になります。

いま必要なのは「真実を知る努力をやめない」という覚悟です。
私たち一人ひとりが恐怖の時代を越え、響き合いの文明を築く担い手になれる。
そう信じて行動するかどうかが、これからの社会を大きく変えていくし、それをリアルに実行しているのが、倭塾です。

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