江戸時代から伝わる教訓「親父の小言」の20か条を小名木善行氏が紹介。これは、日常生活や人間関係、自己鍛錬のあり方などにおいて、現代でも生かせる知恵が詰まっています。

 主な教え
1. 「朝は機嫌良くしろ」 - 朝は明るい挨拶で家族を元気づける。
2. 「人に腹を立てるな」 - 他者への怒りよりも、まず自分を振り返る。
3. 「人には馬鹿にされていろ」 - 他者に優越を示そうとせず、謙虚さを保つ。氏にとっての座右の銘。
4. 「女房は早くもらえ」 - 苦楽を共にした伴侶を大切にし、家族への責任感を持つ。
5. 「大飯は食うな」 - 健康を維持するため、過剰摂取を避けるべきだが、楽しみも必要。
6. 「自らを過信するな」 - 肩書に過信せず、謙虚であることが重要。
7. 「泣き言は言うな」 - 苦労を愚痴にせず、前向きに取り組む。
8. 「神仏はよく拝め」 - 感謝の心を持ち、日々の生活を大切にする。
9. 「人の苦労は助けてやれ」 - 助力できることには積極的に協力する。
10. 「年寄りはいたわれ」 - 席を譲るなど、他者への気遣いを忘れない。

まとめ

「親父の小言」は、単なる古い教えではなく、現代に通用する心構えや日常の行動指針を提供しています。特に「人には馬鹿にされていろ」という言葉は、大好きな言葉です。

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【講義録】

今回は「親父の小言」のお話です。
「親父の小言」というのは、江戸時代の中頃には成立をしていたといわれ、現存する最古のものは江戸末期の嘉永年間のものです。嘉永年間といえば、ちょうど黒船がやってきた頃ですね。
当時の「親父の小言」は、全部で81ヶ条ということですから、結構、内容が細かい。
現在流通しているものは、飲み屋さんの湯呑みとか、おトイレに貼ってあったりするものですが、こちらは38ヶ条ですから、昔のものの半分くらいです。
この「親父の小言」、結構いいことが書いてありまして、そこで今回は、この中の20か条を抜き出してお届けしようと思います。

まず一番目、「朝は機嫌良くしろ」。
大体朝というのは、ボーっとして、意外と機嫌の悪い方って多いんですよね。
でも、だからこそ意識して朝は機嫌良くし、
「おはよう。みんな、なんだか今日はいい顔してるじゃないか。今日も一日元気でいこうぜ」みたいなふうに、家族を盛り上げていく。それって、親父の割と大事な役割かもしれません。

二つ目が、「人に腹を立てるな」。
現代社会は、ネット上の中傷など、ほとんど嫌がらせとしかいえないようなコメントも多々あります。
だからといって、腹を立てても、相手がそこにいるわけではないし、そもそも誰だかわからない(笑)。
それよりも、至らない自分をまず反省することが大事なんだということかもしれません。

三つ目は、実は、この三つ目の言葉が、僕は大好きで、もう座右の銘みたいになっている言葉なのですが、それが、
「人には馬鹿にされていろ」
最近は、何だかいかにも「僕、お利口です」「僕、できる人なんです」みたいな人がいたり、人との会話においても、自分の方がいかに立派な人間か、優秀な人間か、といったようなことを口にして、何とかして相手からのマウントを取ろうみたいな人が多いけれど、そうじゃない。「人には馬鹿にされて」いるくらいで充分だというわけです。

西欧の文化を日本が輸入した結果、とにかく人と話をするときには常に相手に勝利をする、その瞬間瞬間で常に相手に勝利をし続けなければならないといった文化が、日本にも蔓延しているように思います。
けれど「親父の小言」は、「いいじゃねえか。人に馬鹿にされているくらいでちょうどいいんだ」と書いているわけです。
だいたい、全面的に優秀な人なんて、世の中にいない。
みんなどっかしっか、欠点を持っているのです。
一昔前までは、大将というのは、どっか誰から見ても馬鹿にしかみえない行動を取れ、なんてことも言われたくらいです。だから自分も「人には馬鹿にされているくらいでちょうど良い」と。
まさにこれが僕にとっての座右の銘です。

六つ目、「女房房は早くもらえ」
近年は晩婚社会になって、40歳を過ぎてからようやく結婚することが割と常態化し、あるいは早くに結婚してもすぐに離婚してしまう風潮になっていますが、そうではなくて、女房は早くもらって、その最初にもらった女房を「糟糠の妻」といいまして、若い頃、まだお金がない頃から苦労を分かち合った女房を大事にする。
近年では、人生に成功しますと、よく芸能人なんかにあるのですが、若い頃に苦労をともにした女房を、まだ売れていない頃に、ひとつのリンゴを分け合ったような女房を、売れてきて成功者になると、周囲に若い美女がいっぱい群がる。それでつまみ食いだけならまだしも、歳をとった女房とサッサと離婚して、若い美女と結婚してしまう人を、結構みかけます。他人の人生ですから、どうなろうがそれぞれの人生ではあるものの、僕は、そういうことは良くないことだと思っています。
苦労をともにした、本当に苦しい時に、一緒になって頑張った、支えてもらった、そのことに男として、感謝の気持ちを大事に持ってかなくちゃいけない。それが男というものだと、そのように思っています。
女房は早くもらい、そして家族を養うという責任感を持って人生を過ごす。これが大和おのこの生き方の基本だと思うのです。

七つ目、「大飯は食うな」。
こちらは僕にはできないことです(笑)。
だいたい、いまでも食事は二人前、大盛りがあたりまえです。
食うことが、そのまま活力の基だと思っているので、「大飯は食うな」はダメです。できません。ハイ(笑)。

八番目、「自らを過信するな」。
サラリーマンをしていて、一定の役職をいただいて人の上に立つような仕事をしますとね、知らず知らずのうちに自己肥大化して、自分で何でもできるような気になってしまう。けれど会社というバックを失って、ただの人になると、意外と失敗する人が多い。
そうではなくて、自分は常に至らないものなのだと思い、それこそさきほどの三番目の「人には馬鹿にされていろ」、そのくらいで十分じゃないかと思います。
悪口言われても、腹を立てずに、「しめしめ思うツボだ」くらいに思っていますと、
九番目、「何事も身分相応にしろ」となるわけです。
うちは、今乗っている車は軽自動車ですが、軽で十分だと思っているわけです。

そして十番目、「泣き言は言うな」。
人生そもそのもの、うまくいく人の方が少ない。
うまく行っているように見える人でも、本人は意外と苦しいものです。
だけど、どんなに苦しいことがあっても泣き言を言わない。
泣き言を言ったら愚痴になるんです。愚痴は、はたから見ているとみっともないものです。

11番目、「神仏はよく拝め」。
ちゃんと神様の前で手を合わせる、お仏壇に手を合わせる。大事なことです。
神仏の、どちらが正しくて、どちらかが間違ってるということにはならないと思います。
神道では、二礼二泊一礼で、手をポンポンとたたきます。
仏式の場合は、手は合わせても音は出しません。
うちの場合ですと、お食事の際に、「天地一切の恵みと、これを作られた人々に感謝します。いただきます。ポン」と手をたたきます。
この言葉は、伊勢の修養団さんでずっと行われているもので、二度ほど、修養団の研修に参加させていただいて以来、素晴らしいなと思って、食事のときにはいつもこの言葉を言わせていただいています。
ちなみに仏式ですと、手を叩かずに、手は静かに合わせるだけになります。

12番目、「人の苦労は助けてやれ」
最近僕の友人で映画を作る方がおいでになったりします。経済的に助けをいくらぐらい必要なんだってとりあえず10億ぐらいかかるという話になりましてそんな大金をお出しすることはなかなかできないわけなんですけれども、でも自分にできる範囲で少しでも宣伝のお手伝いをさせていただく、あるいは少しでも盛り上がるように、お手伝いをさせていただくといったようなことは進んで行うようにしています。

13番目、「年寄りはいたわれ」
大事なことです。電車で席に座っていて、でも自分の正面か、左右ぐらいに自分よりも先輩の方が来られたときには、さっと席を譲るようにしています。
妊婦の方のときも、ですね。だから、電車では、ほとんど座れない(笑)。座れるのは指定席を買った新幹線ぐらいなものです(笑)。
目の前にお年寄りがいても、小さなお子様連れの奥さんがいても、平気で席を占領して夢中でゲームに興じている少年がいたりしますが、そんな様子を見ますと、ちょっと席替えてやったらどうだみたいな声をかけたりすることもあります。
すいませんと言って気持ちよく席を譲る子供さんもおいでになれば、ものすごく嫌な顔をされることもあります。でもそこで腹を立てるのではなくて、とりあえず自分なりに一言声をかけたということでいいのかなと思っています。

14番目、「子の言うことは八割九割聞くな」
子供には子供の人生があるし、子供なりのいろいろな要求がある。
それを1から10まで親が聞いていると、子供に振り回されるだけになってしまう。
子供はほっといても育つのです。
それよりも、親が親としての生きざまをきちんと子供の前で見せていく。
特に父親は、そんなに子供と接する時間もない。それだけに父親の日頃の態度が、子供に大きな影響を与えます。

15番目、「初心は忘れるな」
初めにひとつの志を抱いたら、頑固にそれを守り抜いていく。途中でもちろん軌道修正はありますし、軌道修正はしなければならないものですが、最初に「やる」と決めたなら、途中で辞めたりしない。
会社で面接をしましてね、「どうしてこの会社を選んだの」、「はい、こういうことで僕はこの会社を選ばせていただきました」、「そうなの。それは立派なだね。はいわかりました。今日から採用」なんてことをしまして、二、三ヶ月しますと、「なんだよ、この会社」と始まる。入社ときの気持ちがどっかに行ってしまうのですね。
どんな時にも、最初の思いを、失ってはいけない。これは昔からよく言われたことです。

16番目、「借りては使うな」
借金してまで何かをやるんじゃないということです。
そうは言ってもね、車のローンや、家のローンなど、借りて使うケースは多々あります。
ただ、できるだけ借りない。

17番目、「不吉は言うべからず」。
口にするときには、できるだけプラスの事を口にするようにし、マイナスのことは言わない。結局何をやったって駄目じゃねかってそんなふうに思うことってのはこれは誰しも必ずあると思います。一生懸命活動しているのに、日本は変わらない。結局自分がやってることは全く意味がないんじゃないかという相談を受けることがありますが、そんなことはないのです。
一寸の虫にも五分の魂です。ひとりにできることは、せいぜい一隅を照らすことくらいです。
でも、それが万の単位で集まれば、万燈照国です。大きな力になっていく。
だから諦めることはない。ひとりの力は小さいけれど、ゼロではないのです。

18番目、「貧乏は苦にするな」
お金が足らない、生活が苦しい、いろんなことがあります。
欲しいものは、なかなか手に入らない。
でも、人間ってのは、おもしろいもので、基本的に「ないものねだり」です。
ないものが欲しいんです。手に入れてしまうと、どうってことはないのです。
何でもそうです。
例えば、「この車いいな」と思いながら、さんざん憧れて、憧れに憧れれて、やっと手にした車も、乗り始めてしばらくして慣れてくると、別の車、あっちの車の方がよかったかな、なんて思い始めるのが人間です。
それでいいじゃないですか。ないものねだりをしながら、何となく「あっちがいいな、こっちがいいな、うらやましいな」と思ってるぐらいでちょうどいいというように思います。

19番、「怪我と災いは恥と思え」
こないだ風邪をひきました。それでお休みをいただきました。すいません。
これは恥なんですね。怪我も病気も、結局、自己管理がちゃんとできていないから起きる。

20番目、「家内は笑うて為せ」
家の中で、父親の笑い声が聞こえるって、とっても幸せなことです。だから意識して笑って過ごす。

以上、「親父の小言」を20番、抜粋してお届けさせていただきました。
このなかで、自分が大好きな言葉は、繰り返しになりますけれど、
「人には馬鹿にされていろ」
これで十分だと思います。

同様に、「人に馬鹿にされてるから駄目なやつ」ではなくて、「人に馬鹿にされているような男なら、意外とこいつ、いいもの持ってんじゃねえの」とも考える。意外とこれが人を見る上において大事なことであったりします。

だいたいこれまでを振り返ってみますと、周りから良いことばかり言われてるような奴って、ロクな奴がいません(笑)。

さて、1番から20番まで、もし、皆様で、「これはいいな、もらったぜ」と思う言葉があったら、ぜひ座右の銘にしていただければと思います。
ということで、本日もご視聴ありがとうございました。