2月2日は節分。今年は例年の2月3日ではなく、1日早い節分の日となります。
このズレは、地球の公転周期によるもので、暦の調整により生じます。
節分とは「季節を分ける」という意味を持ち、立春・立夏・立秋・立冬の前日にあたる日です。
特に立春の前日は、新たな一年の始まりとされ、日本では「節分の日」として特別視されるようになりました。

節分とはなにか

節分といえば、「鬼は外、福は内」の掛け声とともに豆をまく風習が有名です。
この行事の背景には、古来からの日本人の信仰が深く根付いています。

昔から、季節の変わり目には邪気が発生しやすいとされてきました。
寒さが緩み、春が訪れるとともに、病気や災厄が増えることがあったため、それを防ぐための儀式が行われるようになったのです。
豆をまくことで邪気を払い、自分の年齢の数だけ豆を食べることで無病息災を願うのが習わしです。

また、季節の変わり目には「おかしな人」が出てくるともいわれます。
特に冬ごもりから解放される立春の頃は、寒さの中で静かにしていた人々が外へ出てくることで、社会が活気づく一方で、不安定な行動をする人も増える時期です。
そのため、節分の豆まきには、単に外の鬼を追い払うだけでなく、自分自身の心の中に潜む魔物を祓い、清めるという意味も込められています。

豆まきは、玄関から遠い部屋から順番に行い、最後に玄関で豆をまいて鬼を追い出します。
地域によって豆まきのやり方は異なるものの、共通して「邪気を払う」という目的があります。

また、豆まきに使用する豆は「炒った大豆(福豆)」を用います。
生の豆を使うと、まいた豆が拾い忘れた際に発芽する可能性があるため、炒ることでそのリスクを防ぐのです。

どうして豆をまくのか

では、なぜ豆には邪気を払う力があると考えられるようになったのでしょうか。その理由はいくつかあります。

1. 豆=生命の象徴
豆は、発芽しやすく、小さな種から大きな実をつけることから、生命力の象徴とされてきました。その強い生命力が、邪気を払う霊力を持つと考えられたのです。

2. 語呂合わせ(縁起担ぎ)
日本では、言葉の響きを利用して縁起を担ぐことが多くあります。
 魔を滅する(まめ)
 鬼の目を潰す(魔目=まめ)など

このように、豆には魔を退ける力があると考えられ、節分の行事に用いられるようになりました。

3. 穀物には邪気を祓う力があるとする信仰

チャイナの思想では、「五穀(米・麦・粟・稗・豆)」には霊力が宿るとされていました。
その中でも特に豆は「魔除けの力」が強いと信じられ、日本にもこの考え方が伝わりました。

また、日本には古くから「呪術的に食べ物を使う」風習があり、災厄を払うために「おにぎりを捨てる」や「小豆粥を食べる」などの習慣が存在しました。
豆まきの風習も、こうした信仰の延長線上にあると考えられます。

4. チャイナの影響(鬼=邪気を祓うための豆)

節分の豆まきの起源は、平安時代にチャイナから伝わった「追儺(ついな)」という鬼払いの儀式に由来します。
チャイナでは、鬼や邪気を払うために豆や米を撒く風習があり、それが日本に伝わり、節分の行事として定着しました。
しかし、日本における「豆まき」が、単にチャイナ渡来のものだとすることには誤りがあります。
チャイナ生まれのラーメンが、日本に来てとてつもなく進化したのと同様、節分の習慣も、「加持祈祷」から民間部門での「お楽しみ」へと変化し、さらに春を迎える前に「自分の心の中にある『おに』を祓う」という、意味のあるものへと進化したのです。

5. 鬼=災厄、豆=対抗手段

「鬼の目(魔目=まめ)を潰す」という発想から、豆をまくことで鬼を封じ込めると考えられていました。
また、「魔」という漢字の成り立ちを見ても、
 「ま」=受け入れる場所
 「め」=指向・思考・芽
といった意味を持ち、
鬼(おに)は、
 「お」=奥深い
 「に」=圧力
ですから、奥深いところから人に圧力をかけるものです。
つまり鬼とは、人の心の奥底に潜む弱さや悪しきものを象徴するとも言えるのです。

まとめ

節分は、チャイナの「追儺(ついな)」の影響というだけでなく、その意味合いが、日本人の生活に深く根付いた信仰や習慣と結びつくことで「心の魔を祓う」といった意味に変化(日本化)された習慣といえます。

こうした伝統を知ることで、日本人としての国民精神(アイデンティティ)が身につくことになるのではないかと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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