ベルギーによるコンゴ支配は、表向き「自由」を掲げながらも、実態は搾取と暴力に満ちたものでした。ゴム採取のノルマ未達者への処罰として、手首が通貨のように扱われるほどの圧政。自主独立の大切さを考えます。

ベルギーの支配下で起こったコンゴの悲劇

1885年のベルリン会議により、コンゴはベルギー王レオポルド2世の私有地「コンゴ自由国」とされました。表向きは「自由」とされながら、実際には搾取の場と化していました。特に19世紀末、ゴム産業の発展に伴い、コンゴの住民は過酷な労働を強いられ、ノルマを果たせなかった者には残酷な罰が科せられました。その象徴的な例が「手首の通貨」です。ノルマ未達成者の手首を切り落とすことで労働を強制し、その手首が通貨のように扱われる異常な状況が生まれました。この圧政により、1000万人以上が犠牲になったとされ、世界的な批判が高まりました。

独立後も続いた混乱と支配構造

1908年、国際社会の批判を受けてベルギー政府が介入し、「ベルギー領コンゴ」となりました。しかし、搾取の構造は変わらず、独立を迎えた1960年には政治的混乱が続きました。初代首相のルムンバは親ソ連的な立場を取ったことで暗殺され、その後モブツ将軍がクーデターを起こし、30年以上にわたる独裁政権を築きました。現在も、コンゴは豊富な資源を持ちながら、内乱や外部勢力の干渉により、経済的な安定には至っていません。資源を狙う国々の思惑により、貧困と混乱が意図的に維持されているとも考えられます。

日本への教訓―自主独立の大切さ

コンゴの歴史は、単なる過去の出来事ではなく、現代の国際関係にも通じる問題です。植民地支配が形を変えて続く中、日本もまた戦後の占領政策や国際関係の影響を受け、経済や政治の自立が難しくなっています。日本は資源こそ乏しいものの、高度な技術力や経済力を持っています。しかし、経済政策の影響や外部の圧力によって、日本の国民の所得は長年停滞し、自国の利益が十分に国民に還元されていない現状があります。自主独立を確立するためには、日本人自身が現状を認識し、国のあり方を見直す必要があります。

Screenshot