本動画では、場の量子論と日本語の共通性をテーマに、日本語が持つ「二重性」や「多義性」が、量子のふるまいと重なる点を掘り下げます。日本語を話す私たちは、実は日常的に“神の領域”を使っているのかもしれません。

量子論における“神々の領域”と、日本語という“多義的・場的”言語には、深い共通点があります。言語・科学・哲学の垣根を超えた、“日本人としての誇り”を感じさせてくれる対談です。

◉ 量子もつれとは何か?見えない世界に宿る“つながり”

「量子もつれ」とは、2つの粒子がどれだけ距離が離れていても、片方を観測した瞬間にもう一方も影響を受けるという現象です。
東京とニューヨーク、地球と月ほど離れていても、粒子の回転方向が即座に決まるというこの現象は、光速を超える“つながり”の存在を示唆しています。

これは「観測されるまで状態が確定しない」という、あの有名なシュレーディンガーの猫の例にもつながります。つまり一つのものが“同時に二つの状態を持っている”という、不思議な世界が、量子論の中には存在しているのです。

◉ 日本語は“量子状態”を日常的に扱っている?

ところがなんと、この量子論的世界は、日本語の“多義性”に驚くほどの共通点があります。

たとえば「いるかいるか今ならいるか…」という一文。これは小学生の女の子が読めば、イルカに会いたい詩的な感性になりますが、刑事が読めば「犯人はいるか?」という捜査の現場のようなニュアンスに変わります。
文面は全く同じなのに、読み手の立場や状況により、意味が“枝分かれ”します。
このことは、量子の“重ね合わせ状態”と同じものです。

「試合は君のせいで負けたんじゃない」
この一文も、語尾に「!」をつければ励ましに、「?」をつければ皮肉になります。文字も言葉も同じなのに、伝わる意味は全く異なります。

これは「観測者によって状態が決まる」という量子論の本質そのものであり、日本語の使い手である私たちは、知らず知らずのうちに“量子的思考回路”を用いていると言えます。

◉ 日本語=神の領域!?文字と言葉が持つ“場”の力

言語学的に見ると、世界に7000~8000あると言われる言語の中で、文字として成立しているのはたった300~400。
その中でも日本語は、漢字・ひらがな・カタカナという三種類の表記体系を持ち、多層的な意味やニュアンスを表現できます。

特に「大和言葉」は、表面的な意味だけでなく、語感・場・関係性など、目に見えない“場の情報”まで含んで伝達されるため、量子場理論でいう「場に宿る神」に極めて近い発想です。

つまり──
私たち日本人は、もしかすると日常的に、「神々の言語」を使っているといえるのです。

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