日本の律令体制は、中国の模倣ではなく独自の思想による制度でした。天皇は権力者ではなく国民の安寧を祈る存在であり、その在り方が日本を2600年にわたり一つの国として保ってきたのです。
◉ 天皇は「王」でも「皇帝」でもない
日本の歴史の根幹を語るうえで、最も大切なことの一つが、「日本には王様がいなかった」という点です。
世界中のほとんどの国が、王や皇帝といった政治権力の頂点に立つ存在をいただいてきましたが、日本において天皇は「キング(王)」でも「エンペラー(皇帝)」でもありません。
天皇は、権力を持たない存在として国の中心に位置づけられ、国家の安定と民衆の幸福を願う存在として祈りを捧げる役割を担ってきました。
律令制度が確立された7世紀以降、日本ではこの特異な国家観が制度として整備されました。
天皇が政治の実権を持たないことこそが、政権が変わっても国体が維持される理由であり、これが世界最古の国、日本を支えてきた最大の理由なのです。
◉ 律令は模倣ではない、日本独自の知恵
律令制度というと、中国・唐の制度のコピーだという誤解がありますが、実はまったく違います。
中国では律(刑法)中心で、民を罰することによって秩序を保とうとしました。
一方、日本では「率(刑法)」は整備されず、「令(行政法・民法)」のみが発達しました。
つまり、日本は処罰を前提とする社会ではなく、「善なる前提」をもとに制度を整えていったのです。
なぜ刑法を整備しなかったのか?
それは、法律が明文化されることで、その網の目をかいくぐる悪事が横行しやすくなるからです。
「法律に違反していないから悪くない」と言い張る者が増え、実質的な悪が裁かれない。
これに対し日本は、明文化された刑法よりも、「誰が見ても悪い」と感じる倫理・道徳を基礎にして社会秩序を保つことを選びました。
そのため、奉行(裁判官)には徳と知恵が求められ、現場主義で判断するという柔軟な司法観が育まれました。
これは現代のAIでは真似できない、人間中心の法のあり方です。
◉ 民衆が「おほみたから」であるという国柄
日本の律令体制の最大の特徴は、制度が民衆よりも上にあるのではなく、民衆の幸福のために制度がある、という逆転した構造にあります。
これこそが「しらす」国、日本の精神文化です。
天皇は民の平和と繁栄を祈る存在であり、
政治を行う者たちは天皇の祈りを具現化する執行者に過ぎません。
だからこそ、天皇の地位が高ければ高いほど、「おほみたから」である民衆の地位も高まる。
これは権力からの自由であり、民の尊厳を守る盾でもあります。
時の政権が変わっても、日本という国が変わらなかったのは、天皇という非権力の中心が揺らがなかったからです。
これは民主主義という制度を絶対視する現代において、もう一度見直されるべき哲学です。
制度のために人間があるのではなく、人間の幸せのために制度がある・・・この「人間中心」の理念こそ、日本が世界に誇るべき政治文化であり、律令体制が現代にまで影響を与えている理由なのです。
