2025年の秋、日本は大きな転換点を迎えると古代の予言や占星術が示しています。日本の歴史的役割を振り返りつつ、恐怖や暴力に代わる「共振共鳴」の可能性を語りました。
2025年後半に訪れる転換点と予言の数々
2025年の後半、特に10月以降は「大きな変化の時期になる」と古くからの暦や占星術に基づいて語られています。木星と土星の重なりといった天体の動きとともに、死海文書やペトル神父の予言、さらにはポール・ソロモンの預言など、複数の異なる予言が「東方から救世主が現れる」と共通して指し示していることが紹介されました。これらはすべて日本に関わるのではないか、という見方が古くから存在しているのです。
ただし、日本において「救世主」とは欧米的なヒーロー像のように独裁的なリーダーが登場することではありません。むしろ、多くの人々の共感や納得が広がってこそ社会は動きます。したがって予言が示すのは、一人の人物というよりも「日本から生まれる新しい思想や発想」そのものではないかと考えられます。
明治維新から続く「10・20・40・80年周期」
歴史を振り返ると、日本は明治維新以降、10年・20年・40年・80年という節目ごとに大きな出来事を経験してきました。明治維新直後の混乱、日清・日露戦争の勝利、大東亜戦争による植民地時代の終焉。これらは世界史的に見ても重要な意味を持っています。日本はただ自国のために戦ったのではなく、「有色人種も人間である」という証明を世界に突きつけたのです。
この流れを160年目にあたる2025年に重ね合わせると、再び日本が大きな役割を担うのではないかと推測されます。つまり今年こそ、新しい文明の潮流を生み出す節目になるのかもしれません。
恐怖と支配を超える「共振共鳴」の力
欧米の文化圏では、神の力や権力は「暴力」とほぼ同義で語られる傾向があります。恐怖で支配し、強い者や金持ちが権力を握るという構造が根底にあるのです。しかし日本には、それとは異なる道がありました。それが「共振」「共鳴」、そして「響き合い」です。
人は恐怖に押さえつけられると萎縮してしまいますが、仲間と共に心を震わせ、響き合うときにこそ本来の力を発揮します。かつての武士や帝国軍人たちも、この精神で困難を乗り越えてきました。そして現代の私たちも、アニメや漫画などを通じて「仲間との響き合いが力を生む」という物語に心を動かされ続けています。
2025年に現れる「救世主」とは、特定の個人ではなく、日本文化に根ざしたこの「共振共鳴響き合い」の力そのものであると考えられます。人と人とが共感し、信じ合い、手を取り合うことこそが、恐怖と暴力の時代を超えていく新しい文明の基盤になるのです。
【所感】
今回のテーマを振り返って感じるのは、「救世主」という言葉に込められた人類共通の願いは、決して一人のカリスマや超人的存在に託されるものではない、ということです。日本の文化が示してきたのは、むしろ多くの人々の共感と響き合いの中から、新しい力が生まれてくるという道でした。
予言や占星術は、一見すると神秘的な話題のように見えます。しかしそれらが重なって「日本から何かが始まる」と語られるとき、私たちが注目すべきは「誰が救世主か」ではなく、「どんな思想や行動が未来をつくるか」なのだと思います。
恐怖や暴力に基づく支配ではなく、人と人との心の触れ合いによって力を引き出す──。その原理こそが「共震共鳴響き合い」という日本独自の文明的プロトコルです。もし“救世主”というものがあるとするならば、それは一人の人物ではなく、この共鳴の仕組みそのものでしょう。
そう考えると、私たち一人ひとりもまた、その“救世主の一部”になれるのです。小さな声や行動が共鳴し合うことで、大きな流れが形を取っていく。2025年後半を迎える今こそ、希望の芽を育てるために、自分自身がその響きの輪に加わっていきたいと強く思います。
