四条大橋の刃傷を悔いた新選組松原忠司は、遺族を支え続ける中で恋に落ち、ついに彼女を葬り自決。弱さと優しさが生んだ愛と覚悟の物語から、恐怖ではなく共鳴で生きる道を考えます。

1) 「今弁慶」と呼ばれた巨漢の武士

幕末の動乱期に登場した新選組には、近藤勇や土方歳三、沖田総司といった名の知れた人物が数多くいます。その陰に、四番隊組長を務めた松原忠司という異彩の人がいました。
彼は六尺を超える巨体を持ち、剣や柔術に秀でていただけでなく、隊士仲間から慕われるほど面倒見がよく、心優しい人物として知られていました。
その姿は弁慶のようで、人々は「今弁慶」と呼びました。

しかし、ある日祇園で酒を飲んだ帰り道、市場大橋で浪人と口論となり、酔いも手伝って斬り合いになってしまいます。
松原は剣の冴えで相手を一刀のもとに斬り捨てましたが、我に返ると深い悔恨が押し寄せました。
遺体を背負って長屋へ運び、遺族に引き渡したものの、自責の念は収まりません。
以後、松原は自身の俸給を遺族の戸口に置き続け、支援を続けるようになります。

2) 禁断の情と掟の重み

未亡人は貧しさと孤独の中にありました。
松原の誠実な行動に心を打たれ、やがて二人の間に淡い恋心が芽生えます。
松原もまた罪の意識を抱えながら、彼女を守りたいという気持ちを募らせていきました。
やがて子どもが病で亡くなったとき、悲嘆に暮れる彼女を慰めるうちに二人は深い関係となります。

しかしその行動は、新選組において厳しく糾弾されます。
「斬った相手の妻と関係を持つ」ということは、掟に明記されていなくても、武士としての倫理観を大きく逸脱したものと見られたのです。
土方歳三からは自らけじめをつけるよう迫られました。
松原は切腹を試みましたが、踏み切れずに未遂に終わります。
噂は広まり、組内で孤立し、居場所を失っていきました。

3) 悲劇の結末と残された問い

やがて松原は新選組から姿を消します。
仲間が探し当てた長屋で目にしたのは、血の海に倒れる松原と未亡人の亡骸でした。
松原は真実を告白し、彼女の懇願に応えて共に死を選んだのです。
彼は作法に則り、腹を三度かき切り、喉を突いて果てました。
出会いからわずか二か月の出来事でした。

この物語は単なる悲恋譚ではなく、人間の弱さと優しさ、そして恐怖を超える心の力を映し出しています。
松原にとって死より大切だったのは、奪った命への償いと愛する人を守りたいという思いでした。
彼と彼女の行動は、恐怖や暴力ではなく「共感と響き合い」が人を動かすことを示しています。
歴史を語るとき、私たちはつい勝ち負けや正邪の視点に囚われがちです。
しかし松原忠司の物語が伝えているのは、人の弱さを抱えたまま共感と愛を選ぶことの重みです。
恐怖を基盤とした社会ではなく、共鳴を基盤とする新しい文明への転換こそ、未来への大きな課題なのだと思います。

【所感】

松原忠司の生涯を振り返ると、人間とは弱く愚かでありながら、その弱さゆえに誰かを深く思い、共に震える存在であることを痛感します。
完璧ではなかった彼が、悔恨と優しさのはざまで選んだ行動は、恐怖を超えて生きようとする人の姿そのものです。
いまの社会では、恐怖や分断によって人々が動かされがちです。
しかし、恐怖に従って選ぶ行動には人間らしさが失われてしまいます。
大切なのは、弱さを認め合い、痛みに共感し、響き合いを選ぶことではないでしょうか。

歴史の悲劇は過去の出来事にとどまるのではなく、現代を生きる私たちへの問いかけです。
● 人を役割や属性で裁かず、一人の人として向き合えるか。
● 過ちや葛藤に出会ったとき、恐怖ではなく誠実さで応えられるか。
● 分断や煽りではなく、助け合いや対話を選べるか。

これらは大きな理想ではなく、日常の小さな選択の中で実現できることです。
恐怖の文明を超えて、共鳴の文明を築いていく第一歩を、いまの時代に生きる私たち自身が踏み出す必要があるのだと思います。

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