昭和20年8月15日は、敗戦ではなく「終戦」の日。昭和天皇のご聖断は、国体と国民の誇りを守るための決断であり、未来への祈りを込めたものでした。

終戦の日に隠された真実

8月15日といえば、多くの人が「終戦の日」として記憶しています。しかし、それは単なる敗戦の日ではなく、昭和天皇のご聖断によって「終戦」とされた日でした。
1945年7月26日、連合国は日本にポツダム宣言を突きつけます。無条件降伏を要求し、その中には国体の存続すら危うくなる内容が含まれていました。当時の国際法では、占領国が一方的に憲法や伝統制度を変えることは禁じられていましたが、実際には戦勝国の思惑で形が変えられる危険がありました。
国内では陸軍が本土決戦を主張し、海軍や外務省は戦況悪化から講和を求めるなど、意見が真っ二つに割れます。政治や軍の意思決定は行き詰まり、最終的に鈴木貫太郎首相が昭和天皇のご聖断を仰ぐことを決断しました。

ご聖断と玉音放送

情勢が動いたのは、8月6日の広島原爆投下、9日の長崎原爆投下、そして同日ソ連の対日参戦でした。北海道侵攻の危険も高まり、状況は一変します。8月10日の御前会議で、昭和天皇は「晩成(ばんせい)のために泰平を開く」と述べ、ポツダム宣言受諾を決断されました。この「晩成」とは日本の将来のみならず、世界の人々の平和を意味しています。
8月14日、玉音放送の録音が行われます。当時はSPレコードへの直接録音であり、その盤を奪おうとする動きもありました(九段事件)。しかし近衛師団や放送局職員の尽力で守られ、8月15日正午、昭和天皇の声が初めて全国民に届けられました。難解な文語調にもかかわらず、全国民が深く頭を垂れ、涙を流して聴き入りました。

国体護持の意味と現代への教訓

「終戦」とされた理由には、日本独自の価値観があります。それは何が何でも「国体」を守るということです。国体とは単に天皇の存在を守ることではなく、天皇を頂点としながらも政治権力を持たず、国民一人ひとりを「おほみたから(尊い宝)」とする国家の形です。
この構造により、権力者が絶対的支配者となることを防ぎ、国民が誇りを持ち、互いを尊重し合う社会が保たれてきました。もし天皇の存在が失われれば、権力者が国家の頂点に立ち、反対意見を排除する恐れがあります。昭和天皇は、この国の形と国民の誇りを守るために終戦を選びました。
敗戦後、日本は一時的に占領下に置かれ、制度も大きく変えられましたが、天皇の存在と「おほみたから」としての国民の誇りは失われず、日本は再び立ち上がりました。

8月15日に込めるべき思い

8月15日は祝日ではありませんが、単なる過去の出来事を振り返る日でもありません。国を守るとは何か、命と責任とは何か、自分自身が「おほみたから」であるとはどういうことかを問い直す日です。祝日の本来の意味は、歴史と文化を振り返り、日本人としての矜持を共有することにあります。
この日を「祈りの日」「学びの日」として、国民が心を響かせ合い、未来への誓いを新たにすることこそが、昭和天皇のご聖断に応える道であるといえます。

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