終戦から今日までの日本の歩みというのは、ほんとうに綱渡りのような日々であったといえます。その綱渡りを、日本は見事なまでに渡りきったから、いま、私たちは生きていることができるのです。こうしたことに思いを致し、あらためて、これからの未来をしっかりと見据えて襟を正す。8月15日の終戦の日というのは、そのような意義を持つ日であると思います。
――昭和天皇のご聖断と玉音放送に込められた思い――
1.「終戦」と呼ばれた日──背景と国内の混乱
1945年8月15日は、世界史の中でも特別な意味を持つ日です。しかし、それは単なる「敗戦の日」ではなく、「終戦」として記憶されています。この呼び方の背後には、深い日本独自の価値観と、昭和天皇のご聖断がありました。
1945年7月26日、連合国は日本にポツダム宣言を突きつけました。その内容は、日本に無条件降伏を迫るものであり、国体の存続すら危ぶまれるものでした。形式上は国際法によって占領国が憲法や伝統制度を一方的に改変することは禁止されていましたが、戦勝国の思惑次第で国家の形そのものが変えられる可能性が現実味を帯びていました。
当時の日本国内では意見が真っ二つに分かれていました。陸軍は「本土決戦」を主張し、徹底抗戦を訴えます。竹槍でも最後まで戦うべきだという過激な意見すら存在しました。一方で海軍や外務省は、制海権・制空権をすでに失い、都市は空襲で焼き尽くされ、戦争継続は不可能だと考えました。政治も軍もまとまらず、政府内の意思決定は行き詰まりました。
最終的に鈴木貫太郎首相は「ご聖断を仰ぐ」ことを決断します。これは政治家としての責任放棄に等しい異例の判断でしたが、それほどまでに国の未来が揺れ動いていたのです。
2.ご聖断と玉音放送──昭和天皇の決意
状況を大きく変えたのは、8月6日の広島原爆投下、9日の長崎原爆投下、そして同日にソ連が日ソ中立条約を破棄して参戦したことでした。北海道が侵攻される危険も現実のものとなり、時間の猶予はありませんでした。
8月10日の御前会議において、昭和天皇は静かに、しかし断固として「晩成のために泰平を開かねばならない」と語られました。この「晩成」とは、日本の将来にとどまらず、世界の人々の平和をも意味する言葉でした。ご聖断は単に戦争を終わらせるものではなく、未来の人類全体に向けた祈りの決断だったのです。
こうして日本はポツダム宣言受諾を決定し、終戦の道を選びます。しかし、その決断を全国民に伝えるには困難が伴いました。昭和天皇は自らの声で、初めて国民に直接語りかける「玉音放送」を決断されます。録音は8月14日にSPレコードへ収録されましたが、その盤を奪おうとする動きもありました(九段事件)。近衛師団や放送局職員の命がけの努力によって守られ、8月15日正午、日本全国に陛下の声が流れました。
雑音混じりの難解な文語調でしたが、国民は皆、深く頭を垂れ、涙を流して聞き入りました。その瞬間、日本人一人ひとりの心に「敗戦ではなく、終戦」という強い意味が刻まれたのです。
3.国体護持の意味と現代への教訓
ではなぜ「終戦」という言葉が用いられたのでしょうか。その理由は「国体護持」にありました。国体とは単に天皇を守ることではなく、天皇を頂点としながらも政治権力を持たず、国民一人ひとりを「おほみたから(尊い宝)」とする国家の形そのものです。
もし天皇という存在が失われれば、国家の頂点は政治権力者となり、権力に反対する人々は容赦なく排除されてしまうでしょう。昭和天皇の存在は、権力を超越した象徴として国民を守り、国民自身に「自分たちは国の宝である」という誇りを与えてきました。
昭和天皇のご聖断は、日本人が持つこの独特の価値観を守り抜くためのものでした。戦争に敗れても、国体が守られる限り、日本は必ず再び立ち上がることができる。その信念があったからこそ、「敗戦」ではなく「終戦」と表現されたのです。
そして、この歴史は過去の一場面にとどまりません。毎年訪れる8月15日は、国を守るとは何か、命や責任とは何かを問い直す日です。祝日の意味は、歴史や文化を振り返り、日本人としての矜持を共有することにあります。単なる記念日ではなく、「祈りの日」「学びの日」として心を合わせるべき大切な日なのです。
結び
昭和天皇のご聖断と玉音放送に込められた思いは、国体を守ることを通じて国民の誇りと未来をつなぐものでした。私たちが今日を生きているのは、その決断があったからにほかなりません。
だからこそ、8月15日を単なる「戦争の終わりの日」とするのではなく、先人たちが命をかけて守り抜いたものを思い返し、自らの生き方を問い直す日とすることが求められています。
もし、このとき私たち日本人が、選択を少しでも誤ったら、北米のインデアン、南米のインディオ、かつてのアステカ文明やインカ文明などと同様、日本は完全に滅び、歴史の彼方の「失われた国」になっていた可能性もあります。
そんなバカなと思われるかもしれませんが、それが世界の現実です。
そもそも先の大戦当時まで、有色人種は獣であり、黄色人種は猿と見做されていたのです。
そしてその猿が歯向かえば、それは凶暴な野獣と見做されます。
野獣は、殺処分の対象になるのです。
そしてその行為は、相手が獣なら、殺人にさえなりません。殺処分になるのです。
大東亜の戦いで日本が挑んだ戦いは、そういう世界との戦いでした。
そして終戦は、その戦いにおける降参と見做され、ほんとうに下手をすれば日本人全員が殺処分の対象となるような出来事でもあったのです。
「そうはいっても、日本人は1億人もいるのだから、、まさかね」と思うなら、それは「甘い」と言わざるを得ません。1億人程度の粛清なら、世界にその例はあるのです。
したがって、終戦から今日までの日本の歩みというのは、ほんとうに綱渡りのような日々であったといえます。
その綱渡りを、日本は見事なまでに渡りきったから、いま、私たちは生きていることができるのです。
こうしたことに思いを致し、あらためて、これからの未来をしっかりと見据えて襟を正す。
8月15日の終戦の日というのは、そのような意義を持つ日であると思います。
