「シルクロード=唐への交易路」という定説を疑い、実はペルシャ商人の目的地は日本だったという新たな視点を紹介。歴史と地理、物資の流れから“本当のシルクロード”を読み解きます。
◉ 「シルクロード」の名前と誤解のはじまり
「シルクロード」という言葉は、19世紀のドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンが著書で初めて用いたもので、それ以前には存在しない言葉でした。さらに、この呼称が有名になった背景には、NHKの『シルクロード紀行』や喜多郎氏の音楽など、日本人の感性に訴えかける映像・音楽が大きく影響しています。
しかしながら、「絹の道」とされた交易路の本質を見ていくと、唐(中国側)にはペルシャが求めるような貴重な産物がほとんどなかったことがわかります。食料や工芸品も長期輸送に向かないものが多く、商人が唐を目指す動機に乏しいという事実があります。
◉ 商人たちはなぜ日本を目指したのか
一方で、ペルシャでは豊富に採れるガラスがあり、それを加工した器や壺が日本では非常に珍重されました。対して、日本の東北地方では、当時は米が採れにくく、代わりに「金(砂金)」が大量に採取されていました。この砂金が、日本ではさほど価値を持たなかった一方で、ペルシャの商人にとってはまさに“黄金の国”でした。
交易は、相互に価値を持つ品物を交換することで成立します。つまり、原始取得できる資源(ペルシャではガラス、日本では金)が相互に交換されていたのです。この構図が、商人たちの行動の合理性を説明する鍵となります。
◉ シルクロード=川の道だった
私たちが抱く“砂漠をラクダで越える”というイメージもまた、実際には事実と異なります。古代においては大規模な湖や河川が中央アジアに存在しており、船を用いた移動が主でした。特にインダス川からパミール高原を経て、渤海(現在のウラジオストク付近)に至る川のルートは、自然の地形と合致する現実的な交易経路でした。
そしてウラジオストクには、「東京龍原府」と呼ばれる港が存在し、そこに日本の商人が砂金を運び、ペルシャ商人と貴重な工芸品を交換していたのです。これは物々交換が中心であった時代における合理的な経済活動であり、「唐の長安」などよりもはるかに自然で利益のある目的地であったと言えるでしょう。
◉ 日本が守った「森と水」、そしてこれから
番組の後半では、こうした歴史的視点から自然環境の変化、特に森林の役割と水資源の確保についての考察に話題が移ります。日本では古来より植林と伐採のバランスを取りながら、国土の緑と水を守ってきました。一方で、伐採が進んだ地域では砂漠化が進行し、河川の水量も失われていきます。
ところが、現在の日本は国産木材がないがしろにされ、安価な外材に依存するあまり、山が手入れされず荒れていくという深刻な事態に直面しています。歴史を振り返れば、人々の知恵と工夫によって自然と共存してきた道がありました。今こそ、その歴史に学び、未来へとつなげる責任が私たちに求められているのではないでしょうか。
