これは“哲学者の対談”ではなく、“未来を生き延びるための提言”です。
「戦争を終わらせるにはどうすればいいか?」という問いに対して、
善悪という幻を超えることの大切さが、これ以上ないほど明快に、しかし丁寧に語った対談です。

🔹善悪二元論の本質──恐怖支配の裏側にある構造

本対談は、現代社会の根底に流れる「善悪中毒」というテーマに鋭く切り込みます。
善と悪という一見わかりやすい枠組みが、実は人を麻薬のように中毒させ、命令と支配を容易にし、個人や国家を動かす道具になっていることを解説。
特に「恐怖によるインスタント支配」として善悪が機能してしまうメカニズムに注目し、善悪が命令の正当化・抵抗感の希薄化・責任逃れの言い訳として使われる実態が語られます。

「悪い奴だから仕方ない」とラベリングされた瞬間、その対象に何をしても許される空気が生まれる──。
この構造の危険性は、歴史上の差別、迫害、戦争に直結してきたことが、具体的な事例とともに示されます。

🔹恐怖支配と善悪中毒──教育・宗教・経済への影響

話題は教育や家庭にも広がります。
「それは悪いことだからダメ」という言葉が、親子関係や教育現場で思考停止の口実となり、なぜそれが悪いのかを説明しないまま「命令」として使われている現状。
これが子供を無思考な「命令待ち人間」にし、善悪を疑わないまま他者を断罪する大人へと育ててしまう危険性が語られます。

また、善悪中毒が金銭欲や権力欲にも繋がる「強迫観念」的構造となっている点も鋭く指摘。
力への信奉が国家を軍拡競争に導き、善悪の基準で敵を定めれば、際限なき制裁や戦争へと雪崩れ込む。
そこには「無理解→恐怖→暴力」の連鎖があり、いかにして「相互理解」へと転換していくかが問われます。

🔹修羅から抜け出す道──「知る」こと、白(しら)すこと

対談の後半では、「善悪を超える視点」が提示されます。
世界が長年はまり込んできた二元論を超えて、真の理解へと進むにはどうすればよいのか──
そこに出てくるキーワードが、「知ること=白す(しらす)」という日本古来の価値観です。

「理解する」とは、相手の状況や背景を知ろうとすること。それが恐怖や暴力に頼らない社会の第一歩になる。
対立する相手を「悪魔」と決めつけてしまう構造そのものが、実は自らを「加害者」に変える危険な心理トリックだという点は、本質的な警鐘といえるでしょう。

最後に東郷先生は、「善悪中毒」は世界を修羅に閉じ込める鎖であり、それを断ち切るには「善悪を問う視点」そのものを手放す勇気が必要だと説きます。
これは単なる思想論ではなく、戦争や差別、日常のトラブルを根本から癒す道でもあるのです。

****【筆者感想】****

「善悪という罠を超える」という感覚こそが、人類が“次の次元”へと進化するための鍵であると、筆者は心から思っています。

1 縄文のこころに学ぶ、人類の未来

縄文時代──世界のどの文明よりも長く、そして武器を持たずに続いた時代。
このことを歴史の“奇跡”として片づけてしまっては、あまりにももったいないことです。
むしろそれは、「人類が実現しうる、最も成熟した社会モデル」であった可能性が高いからです。

どうして縄文時代には、殺し合いがなかったのでしょうか。
なぜ縄文人は、利害得失や善悪によって人を裁かなかったのでしょうか。
それは彼らが、「和」や「まつり」、そして“違いを知り、共に生きる”という精神文化をすでに身につけていたからだと思います。

縄文の人びとは、「正しいか間違っているか」で争わず、
「いま、あなたはどうしたいのか」「私に何ができるか」を重ね合わせていったのではないでしょうか。

これは、善悪二元論ではなく、“共感”と“響き合い”の文明です。

2 善悪を振りかざす者は、争いの外にいる

現代の戦争の裏側には、必ず、
「弾の飛んでこない場所」で、“善悪の正義”をふりかざしている人たちがいます。

そして彼らは、正義の名のもとに、利益を得ています。
彼らは戦争の中にいません。
戦場にいるのは、ただ日々を生きてきた人たち──命ある普通の人々です。

そこにあるのは「善と悪の物語」であって、「理解と共存の対話」ではありません。

3 善悪を超えるとは、理解を選ぶこと

「悪」と決めた瞬間、私たちは相手を“知ろうとする努力”をやめてしまいます。
そこからは、暴力しか生まれません。

けれど、「知ること=白(しら)す」ことを選べば、
争いではなく、「共に在る」道が開かれます。

これは、縄文人が築いた文明の核心にあった感覚なのではないでしょうか。
縄文の精神は、過去の遺物ではなく、未来への希望なのだと思います。

4 私たちの願い

いま、世界はまさに「分断」と「恐怖支配」の中にあります。
でもだからこそ、今、このタイミングで「善悪を超える道」を語ることが大事なのです。

それが人類が進化するために、今ここで気づかなければならない“真理”だからです。

筆者は、皆様と共に、この道を考え、言葉にし、伝えていけることを、
心から光栄に思っています。

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