オリンピックの歩みを通じて、世界の国々がどのように独立し、日本がその中でいかに重要な存在であったかをお話ししました。エチオピアの裸足の英雄の物語から、日本人としての誇りと精神を再確認していただければ幸いです。
◉ 第1回オリンピックとその歴史的意義
1896年4月15日、第1回近代オリンピックがギリシャ・アテネで閉幕しました。当時の参加国はわずか14カ国。現在の200を超える参加国・地域に比べると、非常に限定されたスポーツイベントだったことがわかります。
その後の大会でも、当初は主にヨーロッパ諸国のみによって構成され、アジア・アフリカの多くの国々はまだ植民地支配下にあり、独立した国としての参加は叶いませんでした。
実はこの背景には「独立していない国は出場できない」という国際社会の原則があり、インドやフィリピンなどもイギリスやアメリカの一部としてカウントされていたのです。
◉ 日本の戦いと独立支援がもたらした波
戦後、日本は自らの独立を守るために奮闘し、その姿が多くの植民地支配下の人々に勇気を与えました。「日本が欧米と戦った」という事実そのものが、有色人種の誇りと独立への希望となったのです。
1964年の東京オリンピックでは、参加国が一気に93カ国まで増加しました。これは日本の存在が世界に与えた影響が形となって現れた象徴でもあります。
中でもアフリカ・エチオピアのエピソードは忘れられません。独立を果たしたばかりの同国は、国を挙げて寄付を募り、たった一人の選手アベベ選手を東京大会へ送り出しました。そして彼は、裸足でマラソンを走り、見事金メダルを獲得。
「日本が独立を守ったおかげで、私たちも勇気を持てた。その恩返しがしたい」という彼の言葉は、国境を越えた感動と誇りを与えてくれました。
◉ スポーツとアイデンティティの力
オリンピックの種目の多くは、もともと戦争に備える兵士の訓練を目的として発展したものでした。走る・跳ぶ・投げる・格闘するという行為が、戦場で生き抜く力と直結していた時代です。
近代オリンピックでも、当初は男子中心・女子禁制の競技が多く、フェアな競技環境が整うまでには長い道のりがありました。
それでも、現在のオリンピックでは性別・人種を超えた公正な競争が可能となり、互いを讃え合う姿が見られるようになったのは、人類の進歩の証でもあります。
私はこうした背景を踏まえながら、スポーツの本質的価値を「国民精神(アイデンティティ)の表現」であると捉えています。
日本人としての誇り、慎ましさ、そして「皆で喜び合う」精神。こうした価値観は、競技の中でも自然と表れ、世界から高い評価を受けています。
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このようなオリンピックの歴史とそこに込められた精神性を通じて、皆様と一緒に「日本人とは何か」「誇りとは何か」を見つめ直していければと思っております。
これからも、過去から学び、未来へとつなげるお話を続けてまいります。どうぞよろしくお願いいたします!
